◆2006美味かったBest20
◆はじめに
思えば今年序盤の滑り出しはここ数年ないくらい順調だった(いい店に当たったという意味で)。が、終わってみれば例年以上に外食していない年になってしまった。その理由はいくつかあるが....
1:平日はほぼ毎日パスタを自宅で作る(というより研究するという感覚に近い)生活になった事。
2:週末は毎週のように自宅でパスタ会をやっていた事。
3:新規店より、行きつけの店に良く行くようになった事(主に『連れて行って!』という友人を連れて)。
4:blogを始めてから、『ここ美味いよ』という知人からの情報が思ったより来なくなったw事。
5:もう滅多な店では心動かされなくなってしまった事。
といったものが挙げられる。まぁ殆ど理由というより言い訳に近いが、5が一番大きな理由だろう。これは、年齢の所為もあるのだろうか、価値観が徐々に『広げる』方向から『掘り下げる』方向に変わって来てる事に起因するような気がする。これは食に限った事ではなく、音楽を聴くにしてもデザイン(本職)を見るにしても、常に『そういう目』で物事をみるようになってきてる。率直に言って、何事もそういう方が楽しいのだ。このサイトの表現している事は、つまるところ『パスタという料理を日本人(つーか俺)の視点でどこまで掘り下げられるか?』ということだが、その掘り下げるという行為をひたすらやっていくと、メニューというアウトプットの種類は限りなく増えていき、結果として驚く程表現の幅は広がっていく。単にテリトリーを広げる事が無意味とは言わないが、深める事で逆に己の表現が多様化広範化して行く事の面白さを、このサイトをやって行く事で、つまりパスタという料理をとことんまで追求するという行為を通して知ってしまったのだ。元々そういう性癖の人間ではあったが、これここに極まったとい感じ。大ざっぱに言えば、2006年とはそういう年であった。
従って、今回のBestは、少し少なく17、番外編を含めて20にした。そもそも、このblogに載っている店は(今現在)全て06年に行った店であるが、数は俺にしては驚く程少ない。勿論、今年行った店でblogに載せていない店も多くあるし、今思えば『何で載せちゃったんだろw』という店もある(どれとは言わないが)。その分、今回選んだ店は、それまでよりグッと高くなった俺の敷居を超えた店として、色んな意味で自信を持って紹介出来る店と言っていい。それはつまり、皆さんがもしこれから紹介する店に行ったとしたら、多分もの凄く好きになるか大嫌いになるかどっちかだろうという事だw。以下はそういう店(食い物)達である。
店達、とかいいながらいきなり店じゃなくてすんません....。詳しくはリンク先をもう一度読んで下さい。こういう経験をしてしまうから、そんじょそこらの店で感動出来なくなってしまうのだ。はじめに述べたように、『価値観が変わってきた』事の象徴たるイベントが、年初に行ったこれであった。幸運な人的巡り合わせによって潜り込めたこの会だが、これを通して岐阜の食文化がいかに深く素晴らしいのかを知れた事に加えて、その食に全てをかける熱き人間達に出会えたのも非常に幸運な出来事であった。俺なんぞに大したサポートなど出来る訳も無いが、岐阜という土地がいかに素晴らしい食文化を有する土地であるかを、これからも事あるごとにこのblogに書いていく事になるだろう。しばらく行っていないのが歯がゆいが、今年早々には再び岐阜に訪れるつもりである。勿論美味いものを食いに。
これまた現在では食えないもので誠に恐縮である。なんだか逃げのようにもみえるが、印象に残ったのだから仕方が無い。これは、年初に鎌倉に散歩に行ったときに途中下車してフラッと寄った秋田物産展で出店していたイートインで食ったものだ。これが、今まで食った親子丼は何だったのかと思うくらい美味かった。人形町の某老舗店など足下にも及ばないほどの素材力(って、当時も書いてるなw)。あの素晴らしい鳥つね自然洞の親子丼ですら平凡に思えるほど。それを無理矢理秋田から駆り出されてきたようなおばちゃんが作ってるのだからもう何をか言わんや。これも、金払って食う『外食』の概念を著しく覆された経験の一つであった。
ここは、名古屋のSHIPSの店長をやってる友人のカミさんの実家なので、イベントで名古屋を訪れた際に何気なく立ち寄ったのだが、いやはや、今思い返してみると、とても素晴らしいハンバーグであった。この、フンワリと軽く、優しさ溢れる味わいと食感は、そのまま店の姿勢にも表れていた。いかに客を大事にしている店であるか、一見の俺にもヒシヒシと伝わってきた。店の優しさがストレートに味に反映されている店は、誰がなんと言おうと良い店である。こういう店の事を悪く言う奴は、俺は絶対に信用しないw。
これも上記と同じ時に名古屋で食った蕎麦で、今年食った蕎麦の中では一番美味かった。レポートは既にエントリーに書いているのでそちらを参照の事。何より、名古屋でここまで本格的な、蕎麦だけでなく醤油のキリリと効いたキレのいい江戸前の蕎麦が食えた事が嬉しかった。
ここが今年食った肉料理w店ナンバー1。裏を返せば、今年は終わってみれば肉の新規店で印象的な店が驚く程少なかったということだが。とまれ、福岡で、モツ鍋ではなくここのホルモン鍋を知る事が出来て本当に良かったと思うのと同時に、福岡という土地の食の恐ろしさwというか奥深さというか、焼き肉は勿論、もつ鍋、水炊き、そしてこのホルモン鍋、肉の食い方に関してはここが全国一なのではないかと思わされた店であった。鍋の形一つとっても独特でしかもそれが見事に理にかなってる。今思い返してみても、今年食った料理の中で最も舌に残っている味かもしれない。ここに連れて行ってくれたけい君に感謝。
そこがいくら観光地化された場所だとて、例えそれが供給を追いつかせるためにその場所で穫れたものばかりではなかったとて、鮮度は嘘をつかない。早朝港に着いてそうそうに、ベンチで海を見ながら揚げたてのイカ天を頬張る至福は絶対にその場所でしか味わえない。今までこちらで食ったどんなイカよりも美味かった事だけは確かだ。ただしイカシュウマイはそれほどでもないw。むしろ現地で食べる揚げたての魚(ギョ)ロッケやさつま揚げの方がよほど魅力的。
まさか、何のてらいも芸もないただのロールケーキがこれほど美味いものだとは....もはや、同じ形をしたその辺の『ロールケーキと呼ばれているもの』と同列に語る事すら申し訳ないほどの美味さ。そして、まるで生サバのような足の早さから、ギリギリの臨海寸前のバランスでその美味さが成り立っている事が良くわかるのだ。実際翌日も食べてみたが、1日置いた状態の味の落ちよう(それでもその辺のケーキ屋のロールケーキでは足下にも及ばないが)がそれに更なる説得力を持たせる。
当たり前だが、素材と手間を極めれば、例えばジャンクの象徴であるハンバーガーやポテトチップだって、どんな料理にも負けない至高の一品になり得ると言う事だ。料理そのものに罪は無い。全ては作る者の志一つなのだ。よく、『ラーメンを好んで食うなんて、グルメとは言えない』とか『カフェに美味い料理など存在しない』かのように、あたかも料理のジャンルそのものが悪のように語る輩(年寄りに多い)がいるが、そういう人間は本当に美味いものが好きなわけではない。偉そうにしていても、探求することを諦めた、所詮はその辺のブランド好きと五十歩百歩の価値観の持ち主なのだという事に気づいていない単なるバカだ。自戒を込めて、これを食べながらそんな事を考えた。
この旅に行く直前に読んでいた『駅弁一人旅』という漫画に出てきて大層気になっていたので、わざわざ何も用のない新八代に途中下車してまで買った逸品。その甲斐あって、もはや駅弁という枠では語る事の出来ない凄い弁当であった。駅弁というジャンルもなかなか深いものがある。電車で食べる弁当にここまでのクォリティを持たせてしまうある種の『やり過ぎ感』というのは、日本人特有の価値観だと思うし、誇らしく素晴らしい事だと思う。電車での旅は元々大好きなので、これからも折に触れて美味い駅弁を紹介したい。
◆柚富の郷 彩岳館@湯布院のカボチャと真鯛のしんじょの椀もの
意表を突かれたという意味では今年一番の料理が、この宿の晩飯と朝飯だ。特にこの椀ものは、アイディアといい味といい、ただ唸るしか無かった優れもの。例えちゃんと料理目当てで選んだ宿だったとしてもここまでのものが食えたかどうか疑わしい。何しろこの宿は、旅費を少しでも安くあげるためにJTBのパックの中から何のこだわりも無く選んだ宿だったし、勿論料理が目当てで選んだ宿でもなかったのだ。ところが、お湯も部屋からの景色も申し分無かったし、湯上がり後の休憩室などホスピタリティも素晴らしく、何より料理が秀逸であったのだから吃驚である。恐らく別に地元でもナンバー1の宿というわけではないのだろう。これが湯布院の底力かと少なからず衝撃を受けた。
恥ずかしながら『とんこつ』という料理を食べるのも初めてだったので、この店のとんこつがとんこつとしてどのレベルなのかは分からないが、少なくともとんこつという料理は、ともすればとてもしつこくなりがちな料理で、美味く仕上げるには料理人の腕が重要だろうなという事は分かった。ちょっとでも駄目な料理人が作ればとたんにしつこくてジャンキーな料理に成り下がるだろう。そしてここのとんこつは、初めて食った俺でも分かるぐらい、バランスが良く上品な料理としての高い完成度を保っていた。味付けも甘く大量のゼラチン質を感じるにもかかわらず、いくらでも食えそうな食後感。やはり初めて食べるものは地元の食通に聞くに限る。
◆ボンジョリーナ@池ノ上の白レバーのムース マルサラ酒の香り
食に関して、俺が最も信頼している友人の一人、Eri-tinがヘルプで時々入る店なので不味いはずは無いんだが、特にこのレバームースは良かった。今年のBestの一つである事は間違いない....のだが。
実は、この店をBestに取り上げるのは少し迷った。いや、俺自身にとっては店の料理やホスピタリティには何も文句は無いのだが、昨年初めて食べに行ってこのblogにレポートを書いた後、Mixi経由で常連と思われる人間から訳の分からないメールが来たり、俺の知らない間にコミュニティで何かあったらしく、誰かの粘着質な書き込みが続いてたり店側はひたすら謝ってたり、最後にはコミュそのものやblogまで閉じちゃったりして『うーむ、なんだか怪しいなぁ』と思っていたのだ。が、少なくとも俺には凄く良い店であったし、味も確か。どうもこの店は変な客に気に入られる引力があるのか、それともトラブル(ってほどのものでもないか)を引き起こす空気がそれとなく店に漂っているのか・・・・まぁ、客商売である以上、色んな人間が訪れるしそれを拒む事は基本的には出来ない(北品川のような例もあるがw)。世の中には色んな価値観の人間がいて、そいつら全てが気に入る店なんて何かの魔法でも使わない限り最早無理な時代だし(ブランドというのは一種の魔法だったね)、自分の店に合うかどうか一人一人面接してるわけにもいかない。俺は別に店をやってる訳ではないが、パスタ会と称して毎週のように人を呼んで、彼ら相手にパスタを作ったり、相方のパンデリバリーなんかを見ていると、食を対象とする客商売の大変さがよくわかる。こういう大して読者の多くないblogに何かを書くという事一つとっても、その店に与える影響は大なり小なり必ずあるものだ。そういう、ネット時代の客商売という事について色々考えさせられたという意味でも、この店は印象に残っている。
何しろ俺は、この店の料理に対するスタンスには全面的に共感するし、出てくる料理も味付けの上品さと盛りつけのパワフルさとのコントラストが良い意味で庶民的で実に俺好み。これからも是非頑張って欲しい店の一つであるという意味を込めて、ここにあらためて紹介する。
まだ記憶に新しい店だが、これほど誠実な味がするスープを飲んだのも実に久しぶりであった。この店の料理は単に美味いだけでなく、どれも素朴で誠実。目新しさはないがとても心安らかになる料理ばかりで、そのスタンスはこのミネストローネに集約されていた。単に無農薬自家栽培の野菜を使用してるだとか、沼津の港直送の新鮮な魚介を使ってるとか、そんなスペックからだけではない、作り手の気持ちみたいなものが味にちゃんと結びついている。こういう気持ちにさせてくれる店、都心では久しく出会ってないなぁ。
そういう意味で、年末滑り込みでこの店に行けたのは幸運であった。都心にも、スペック重視だけではないこういう店があると言う事が分かって少しホッとした。『美味いものとは何か』を真摯に突き詰め、それを具体的なコンセプトにまとめ、ちゃんと分かる形で受け手にプレゼンテーションしている数少ない店である。ブランド肉のような旨味やコク、歯ごたえを楽しませてもらえる訳ではないが、それを補ってあまりある素材の鮮度という力を最大限に発揮している真摯な店。今後は是非、鮮度プラス技で唸らせられる店へとさらなる成長を遂げてくれる事を心から願う。陰ながら応援してます。
いやぁ、この店の持つ破壊力は、去年でいうと宇ち多"と同質だな。もう書きたい事はエントリーの方に書いてるのでここでは言う事は無いのだが、あれから行ってないのでじいちゃん元気なうちにまた行かないと。ああ、何故かうちのblogの天龍のエントリーがプリントされてメニューと一緒にファイリングされてるというのには笑ったなぁ。こんな大してアクセスもない個人のページが何の宣伝になるんだよw。
勿論、この店を知る事が出来たのも2006年最大の収穫の一つだ。気取らないありのままの中国料理、いや中国そのものを体感させてくれる素晴らしい店。これだけのメニューがあると少しはハズレもあるが、その全てが『やりすぎ』な方向で勇み足的な外れ方なので、好感が持てるどころか、むしろそれこそが変に日本に染まらない自尊心に見えてかえって魅力的に映ってしまう。昨年は早速雑誌に紹介されたり駅前に支店も出して、ますます勢いに乗る旬な店であるが、是非このやり過ぎ感を維持して突き進んで欲しい。そして支店を出すなら是非渋谷方面にもお願いします。
中国料理のセレブな側面を味わうなら、高い金出して日本の店に行くよりむしろ本土に渡ってその土地の人間にアテンドしてもらうのが一番である。そういう意味でこの時の深圳出張は実に楽しめた。この料理はその中でも特に印象に残ってるもので、オーストラリア沖で穫れた、日本の伊勢エビの軽く3倍位はありそうな大きさの巨大ロブスターをソテーして、バターの効いた洋風仕立てのソースに絡めたものだ。下には伊麺、つまりパスタ風の平うち麺が敷き詰められている。多分日本で食べたら一皿2,30000円はするだろう。現地では滅多な事では食べられない超セレブ料理。しかし、決してお高くとまった感じが無く、あくまでパワフルに、なりふり構わず美味を追求している感じに圧倒される。この雑食性というか、美味ければどんな手法でも取り入れ、自分たちのものにしてしまうというどん欲な姿勢こそが中国料理の歴史そのものなのだな。こういう料理になら何万でも出せるというカリスマ性の高い一品。
これも出張先で食べた料理だが、上の料理の1/50くらいの値段ながら、今年海外で食べた料理で一番美味かったと断言出来る一品。マレーでは名物料理の魚の頭のカレーだが、悶絶する程美味かった。カレーに限れば、もしかしたら人生で一番美味かったかもしれない。どこから聞きつけたのか、『この日本人は食事に五月蝿い』という情報を仕入れた(そんな事ねーけどなぁw)現地アテンダーが、わざわざ仕事先から車で30分以上も飛ばして連れて行ってくれた店だ。マレーにありがちなオープンスペースに、決して綺麗ではない店内。出てくる料理もこれ一つのみ(しかも一人で来てもこの量w)というなんとも大ざっぱな店であるが、こんな田舎でこれ一歩んで客足が途絶えないのが納得のいく凄い味。素材のパワーを最大限引き出すスパイス使い。具やスープ、どこをどう食っても美味いとしか言えない無駄の無さ。それを恐らく技術でなく永い経験と動物的な勘で作り出しているw。こういう揺るぎない味に触れてしまうと、しばらくは日本のカレー屋なんてばかばかしくて行けない。
番外編:
味体験としてのレベルがどうこうではなく、純粋に心に響いた食体験を以下に記す。当たり前だけど、食というのは、単に美味いものを食って『美味しい〜』と喜んで終わりというものではないというのをあらためて思い知ったのも2006年という年だった。特に『パスタ会』が俺にもたらした価値観というのは、色んな意味でとてつもなく大きい。単なる自分のための趣味が、やりすぎる事で自分というテリトリーを超え、来る人やその場の空気そのものが様々な視点を与えてくれた。そういう意味でも実に有意義な1年であった。
普段俺のパスタを食べに来てくれる人たちが集まって、逆に俺に一人一品ずつ作って我が家をもてなしてくれるというなんとも贅沢な会が行われた事は、上記の事を最も象徴する出来事であった。元は俺のパスタが引き起こした事とはいえ、結果的に俺の今年の食体験の中で最も重要な1日であった事は間違いない。これと、夏頃に行ったVietri閉店に伴う『Vietri感謝祭』、そして年の瀬に行って実に40人以上が13時間以上に渡って我が家に訪れてくれた『パスタサローネ2006』が、今年の俺の食イベントベスト3だろう。勿論、九州の久留米と鹿児島に出張して行ったパスタ会も忘れがたい出来事だ。この場を借りて、忙しい中俺のパスタに反応して足を運んでくれた全ての人に感謝したい。今年もますますパワフルにパスタを通して食を追求して行こうと思うので皆様よろしくお願いします。今年はさらに積極的に地方や人の家に出向いて『攻め』のパスタ会を催して行きたい所存w。
たった一度しか行けなくて残念だったけど、エンターテインメントとしての食体験という意味では忘れられない施設であった。倒産してしまったのがさらに残念だが、こういうある意味マニアックな施設を頑張って今まで運営してきた大信水産さんに最大限のリスペクトを。
これは冒頭で紹介した岐阜の河原町サロンとリンクする出来事であるが、この、原価割れのため一般には販売出来ない『とらやの幻のわらびもち』を持ってきてくれた岐阜のゴ君や泉屋さんを初め、岐阜の伝統食文化を担う素晴らしい方々と食を通して通じ合う事が出来た事も、我が一生に残る経験として印象深い出来事であった。今まで、関東人の俺としては正直盲点だったと言ってもいい岐阜の食文化に触れて、その懐の深さ、一途さ、ひたむきさを思い知り、やはり食は西にあるのかと頭の下がる思いであった。俺がこれからどういう人生を歩むかは神のみぞ知るだが、もし食の方面に進もうとした場合、間違いなくこれらの体験が原点となるであろう。って、わらびもちは全く関係ない結論になってしまったがw、レア度に違わぬ本当に凄い味のわびもちだったのだ。一般には食べられないものなので詳しい事は書かないが、この日の印象的なパスタ会を象徴する食い物としてここに挙げておく。
ということで、以上が2006年のベストということになるのだが、殆どが店の紹介というよりレポートの形を借りた単なる心情吐露という感じがしないでも無いw。それだけ俺の中で、グルメなるものに対する価値観のシフトが行われたという事である。いい店とか美味い店とかいうものを評価する視点が明らかに変わってきてる。というより、評価という行為そのものの無意味さを感じていると言った方がいいかもしれない。online、offline問わず、巷に溢れる飲食店評の大半が俺にとって意味をなさないものになってきてる(ネット上の食に関するblogをはじめとする読み物については、もう書きたい事が山ほどあるが、かなりの毒を吐く事になるので割愛w)し、そうなればなるほど、冒頭にも書いたように、姿勢がより己の内面に向かっている俺にとって、このblogを書くという行為の重要性が増す。そんな俺のblogを読んでどれだけの人が面白いのかは知らないが、少なくともこういうスタンスで食についてアプローチしているネット上の読み物は、俺の知る限りそう多くない。そういう意味ではこのほとんど自慰行為のようなblogも少しは公開する意味があるだろうと思う。多分一番の愛読者は俺だと思うけどw。
そんな方向性が今年はますます極端になっていって、もしかしたら他の人はとても行こうという気にはならない店ばかりの紹介になるかもしれないしw、あるいは店と呼ばれるものの紹介ですら無くなるかもしれない。むしろそうなったら面白いと思うが、どんな形であれ、食に対する追求はますます強めていこうと思っているので、これを読んでる皆様、今年もよろしくお願いいたします。特に『この店は行っとけよ』情報をお待ちしております。
2007年も、美味いものに沢山出会えますように。