昼食で接種したカロリーは城の散歩で消費するのが我々の旅では最早定番と化しているが、福島にはおあつらえ向きに名城鶴ヶ城が鎮座ましましている。そういえば余談であるが、NHK BS2にて、『司馬遼太郎と城を歩く』という、名前だけでその素晴らしさが容易に察せられる番組が放映されている。俺はうかつにも昨年から放映されていた事を知らなかったのだが、最近e2 by スカパーでも開局した、あからさまに中年老年向けの『チャンネル銀河』というチャンネルで再放送されているのを偶然発見して以来、必ず録画して見ている。番組冒頭のナレーションが、「私は城が好きである。あまり好きなせいか、どの城址に行ってもむしろ自分はこんなものは嫌いだといったような顔を心の中でしてしまうほどに好きである」という、心の琴線に触れまくりの一文で始まる。ちなみに書籍版(買ったが未読)も発売されている。
ああ、余談が長過ぎた。会津若松城は今回初めて訪れた。勿論、小学生の頃から憧れた、いつかは必ず訪れるべき名城であるが、名城過ぎてつい後回しにしていた。葦名氏から始まって伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝、加藤嘉明など、名だたる大名が城主となるに相応しい美しき天守(を作ったのは加藤だが)を持ち、観光地としても有名。そして最も有名なのは会津戦争での白虎隊の悲劇だろう。資料館(天守閣)やお土産屋でも大フィーチャーされていた。そういやウチの会社の創業者は、白虎隊士の子孫(ってほど離れていないが)だということを最近知った。ちなみに白虎隊士19名の悲劇の物語は何度も映画、ドラマ化されているが、実際には300名近く(全体の8割強)の若者が生き残っていると言われている。
これが天守からの眺め。磐梯の山並みが美しい。一ヶ月に及ぶ激しい篭城戦が繰り広げられた場所とは思えないほど長閑で綺麗に整備された城址である。天守自体は、写真で見る方がより美しい気がしたw(恐らく30年近い長年の期待が発酵しすぎた所為だと思われる)が、その天守を含めた本丸周辺の庭あたりの雰囲気はとてもよい。wikiには会津戦争直後の壊れた天守の写真が載っているが、それを元に復元した割にはあまり似てるようには見えないのは気のせいかw。復元前の方が均整の取れた天守に感じる。とはいえ、この城の辿った運命のドラマ性を考えると、ちゃんと建て直した事自体は素晴らしい事である。
城の次は、一路那須まで南下して名湯鹿の湯に浸かろうという計画だが、ちょっと時間が早いようだ。そこで、余裕を見てスルーしてきた猪苗代湖に戻って、しばし湖畔散策を楽しもうという事になった。インターを降りて、そのまま下った突き当たりにあるコンビニの裏というシチュエーションとは思えない旅情溢れる風景。雪もまだ大分残っている。
やはり磐梯と猪苗代はセットで見てこそ価値があるよなぁ。何も無い場所でただ景色を楽しむ10数分のためだけに会津から戻って来たが、その甲斐のある絶景であった。さて、湖畔で冷えた身体を温めに行く時間だ。
那須に到着した時には日もすっかり暮れて、お湯に浸かるには丁度良い時間である。本ツアーの最後の晩餐に備え、胃腸の調子を整えるべく張り切って入湯。結論から言うと本当に素晴らしいお湯であった。個人的お湯ランキングでは全国3本の指に入る。内部の様子などはこちらを参照して頂くとして、その強い成分の通り、お湯は入った瞬間に『これは効く』と実感させられるものだ。白濁していて硫黄臭も強い。湯船が6つに分かれていて、奥にいく程高くなる(最高46度)のだが、俺は44度に常駐していた(流石に46度は遠慮した)。本格的な湯治に訪れているであろう常連とおぼしき年配の方々は、46度に常駐してキッチリ時間を計りながらでたり入ったりを繰り返している。そういう光景も含めての説得力かもしれないが、とにかく温泉としての本質的な何かを味わえる、名湯と呼ぶに相応しい立寄湯であった。
さぁ、散歩と湯治のお陰ですっかり準備が整ったぞと我が胃袋も先ほどから信号を送ってくる。〆は宇都宮でイタリアンである。我が家のツアーでは比較的洋食比率が低いが、珍しくNot 和食、それもイタリアンで着地してみる事にした。さてその甲斐はあっただろうか。
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