苫屋@安里
沖縄だからといって、いつでもどこでも新鮮な魚が手頃な値段で食えるなどとは、沖縄に行く前ですら考えた事はない。市場にある食堂だからといって必ずしも新鮮な魚が手頃な値段で食べられるわけではないのと同じ事である。周りが全部海だからと言って、勝手にポンポン魚が捕れていつでも食い放題なわけではない。漁師、仲買、料理人など、美味い魚が食える場所には必ず裏でそれに血道を上げている人がいるのである。至極当然の事だ。逆に言えばそういう人々がいない場所には、たとえ環境が整っていた所で宝の持ち腐れ。美味い魚など望むべくもない。つまり美味しい魚が「食える」場所と美味しい魚が「食えそう」な所は違うと言う事だ。
沖縄は、どう考えても美味い魚がたらふく食えそうな場所である。しかし、これまでの経験上その先入観が当てにならないのは重々承知している。「適当に店を選べばどこでも当たり」なんて事は絶対ない。それゆえ例によって様々な情報を頼りに事前に「魚食うならここだろ」と選んだのがこの苫屋である。沢山候補があったが、最終的には直感で決めた。「ここの親父は信用出来そうだ」と。
着いて早々結局昼を2食食う羽目になったので、識名園、首里城を歩き倒して(この様子は後ほどまとめて)無理矢理胃袋に隙間をこじ開け、18時の開店時間10分前に到着。入り口が若干分かりにくく二度程通り過ぎたが、開店時間丁度には既に座敷でおしぼりを開けていた。ただ、店の看板の横に『伊集家』は無いだろうw。『お通夜の食い物は、直ぐ下で新鮮な刺身を注文出来ていいなぁ』とか余計な事を想像してしまったではないか。
店内の雰囲気は写真の通り、決して不潔感はないがどことなく雑然としていて、お世辞にもいい雰囲気とは言えないが、ちょっと排他的な空気と偽物ではない年期を感じる空間は、粗方事前の予想通り…つまりジャスト俺好みである。そして奥のカウンター内部にはいかにも漁師上がりで社交性を排した厳つ目な親父がのそーっと動いている。耳を澄ませばカウンターの下から時折水の跳ねる音…怪し過ぎである。
しばらくすると、準備を終えた親父がカウンターからついに出てきて「メニューはない」、「飲み物などはセルフサービス」など必要事項を淡々と告げ、最後に少し顔が緩んで「海老食べる?」と聞いてきた。俺は直感でこれを挑戦と受け取りw、「当然あるものは何でも食うよ」と、午後すでに3食目なのを強引に忘れて告げると、親父は少し笑って「セミ海老のいいのがあるから」と言い残してまたカウンターに戻って行った。どうやらここの親父は良く食う奴が好きなようだ。俺もここまでのやり取りで、「この店は好きな種類の店だな」と、料理が出てくる前から既に感じていた。
その予感を確信に変える程、通しの水雲(モズク)からして先ず美味い。ひじきかと思う程歯ごたえがしっかり残っているモズクは久しぶりに食べた。酢もかなり控えめで、良く噛み締めればモズクそのものの磯臭い風味が堪能出来る。流石にわさびは粉なので横にどかしたが、丼で食いたい衝動に駆られるつきだしであった。モズクがこの調子なら、当然魚の鮮度も期待出来るだろう。まだまだ俺の選球眼も錆びちゃいねぇな(自画自賛)。
前述の通りこの店にはメニューというものがないので、どんな内容のものがどんな形で出てくるか久しぶりのワクドキ感を味わいつつ烏龍茶を啜っていると、のそーっと動いてる割には実に素早い仕事で大した待ち時間もなく親父が刺し盛りを持って登場。多いとは聞いていたが、これ二人分だと聞いたら普通のカップルならビビるだろうなぁ。奥に鎮座するセミ海老の勇姿が実にフォトジェニックですなぁ。他に鮪、ウニ、ハマチ、ミーバイ、アオリイカ、シャコ貝などが、決して小さくない皿に所狭しと並んでいる。
あまりに可愛いのでアップで。この時点では当然まだ動いております。ちゃんと一匹分盛ってあるので、手前に見えているだけでなく奥にもたんまりピンク色の身が仕込まれてます。味の方は言わずもがな。つーか新鮮な活きセミエビのお造りってだけで他に説明は必要ないだろう。伊勢エビよりも甘みが強くてより濃厚な味わいが楽しめる。伊勢エビとタラバガニの刺身の中間のような味である。久しぶりにこのクラスの大きさのセミエビを刺身で食えただけでも来た甲斐があったというものだ。
最初は刺身を心行くまで堪能し、やがて手巻き寿司に移行するのがこの店の特徴である。刺し盛りが運ばれてきて数分後におひつ(これも二人分にしては…)いっぱいの酢飯と焼き海苔が運ばれてくる。気分次第で巻いて食えというわけだ。店としては単にご飯と海苔を出すだけなのだが、自分のペースとリズムで巻いたり握ったり時には海苔&刺身のみで食ったりと、これが結構楽しくて、『この店に来たら、とにかく刺身をひたすら食うだけ』という、ある種苦行になりがちな所を見事に救っている。俺は基本的に『お家で手巻き寿司』というのが好きではないのだが、この歳になってこんな所まで来て、初めてその根源的なエンターテインメント性を垣間みた気がした。勿論ここレベルの魚を用意出来ればの話だが。
ひとしきり刺身を食い上げたら、残ったエビの頭やら魚のアラなどで味噌汁を作ってくれる。これもまた最高に美味い。余計な味は足さず、我々が食べた魚の再利用で出来ているので、今まで食い上げた魚達が走馬灯のように頭をよぎって行く。青物にニラというチョイスがまたオツである。
デザートは南国らしくパイン。親父曰く『まだちょっと早いんだけど、サービスだから』と。確かに若干硬めではあるが十分甘くジューシー。少しの青さが『ああ南国に来たのだなぁ』という思いをあらためて自覚させる。とても良い〆である。
腹も膨れたところで、終始気になっていたカウンターの下を確認。予想通り水槽があるのだが、中にはなんとウミガメが3匹…。うーむ、ペットではないよな、少なくとも。これも食ってみたかったが、一体どんな料理として出てくるのだろうか。今度来たら聞いてみよう。
頑固そうな親父ではあったが、話してみるととても気さくで気の置けないキャラの持ち主であった。まぁコミュニケーション能力は決して高い方ではないため、排他的に感じる人もいるだろうなぁというのは良く分かったが、帰りには何故か占いまで開帳し、俺とかみさんの将来まで聴く事に。俺は金には困らないそうだ(いつそうなるのだか…もう人生折り返し地点なんですが)。
冒頭に書いたように、一見美味い魚が食えそうな場所でちゃんと美味い魚が食えるのは、こういう親父がいるからなのである。資産は豊富にあるのに、運用が出来てない場所は沢山あるし、運悪くそういう場所や店に当たった輩は『沖縄(←それぞれ思い当たる地名に置き換えて下さい)は意外と魚美味くないよなあ』と訳知り顔に言うのである。でも、ちゃんとある所にはあるのだ。その土地への恨み言を言う前に、むしろ自分のリサーチ不足を呪ってしかるべきなのである。
何しろ出すものがシンプル極まりないので多くを語る事は出来ないが、写真を見ればそれで十分伝わると思う。沖縄の魚を存分に味わうなら、とりあえずここに来れば必要にして十分に味わう事が出来る。下手な店に行くのはお勧めしない。(色んな人のレビューを読んでみた限り)決して少なくないと思われる地雷を踏みたくなければ選んで損はない店である。
沖縄初上陸一日目の食は、最悪な出だしから最良の着地まで、たった3食で得るものが多々あった。粗方予想通りではあるが、食に関してはやはり手放しで楽しむにはハードルが高い、多少スキルと知識が必要な土地であるようだ。明日以降果たして沖縄をしっかり楽しむ事が出来るのだろうか。期待(70%)と不安(30%)が交錯した想いで宿に向かった。