新垣ぜんざい@本部町
ということで、きしもと食堂に訪れた者なら必ずセットで訪れるぜんざい屋、新垣ぜんざいに来てみた。ぜんざい、こちらで言うところのかき氷である。この店は、おあつらえむきにきしもと食堂の斜向いにあるので、そばを食ったあとの口をさっぱりと洗い流してリセットするためにあるような店であるが、きしもと食堂よりむしろこちらの方をメインに訪れてもいいと個人的には思う。たかがかき氷だが、それくらい心にしみる滋味深い味わいのぜんざいであった。
メニューはこのぜんざいだけ。しかも250円…。だったら食券機なんていらないじゃん、と思うのだが、まぁ混んでるときは会計の手間を省けるので都合がいいのだろう。我々が行ったときには混んでなかったけど、本来は人気店なんだろうし。
昔ながらの機械で削った氷は見た目にもその滑らかな舌触りが想像出来る。まず氷だけ食べてみると、理屈ではその差異を上手く表現出来ないが、たかが氷を削ったがけのものなのに、幼い頃江ノ島で食べた氷を思い出して懐かしい気持ちになり、口中の冷たさとは反対に、心にはじんわりと暖かいものが込み上げるのだ。とにかくその辺で食うかき氷とは全く違う。
そしてその氷を脇に従えて、下からこの金時豆が覗けば最早、かつて自分の人生の中にあったかどうかも定かではないw美しい思い出の中に放り込まれる。こっくり丁寧に煮込まれたこの豆に、4代にわたるこの店の想いが詰まっているのだろう。10年以上ぶりに頭がキーンとなるのを懐かしみながらも、おかまい無しに口に放り込むほどに、単純に味が良いという話では済まされない満足感で満たされていく。かき氷という食い物の特性でもあるのかもしれないが、郷愁とともに食す美味というのは、「ずるい」と思わされるくらいに心動かされる。3丁目の夕日を見に行くくらいなら、俺は迷わずここにかき氷を食いにくるw。
食に対する満足感の度合い、方向性は、勿論人によって様々ではあるが、単純に味のバランスが良いというだけで満たされる事は決して無い。何らかの作り手の想いが形となり、それが受け手に伝わった時初めて受け手の満足を引き出せる。そこに対話を成り立たせようという双方の意思がなければ、双方いくら経験を積んだところで不毛である。それはどんな創作活動でも同じ事であるが、ここのたかが250円のかき氷一杯に触れて、味蕾に訴えるという手法は、特に直接的で有効であると言う事をあらためてまざまざと感じさせられたひと時であった。