やまに郷作@大津
午前11時半から午後2時までの間に既に二食を消化した(しかも麺類二連発)にもかかわらず、胃腸はスゴぶる快調。このままもう一食くらい行けそうな雰囲気である。しかし、旬のアンコウ様を舐めてはいけない(そういう問題ではない)。40歳を迎えて、いつまでも自らの欲望に任せてやみくもに量をこなしていればいいというものではない。一つのツアーにもストーリー立てが必要である。流れの中でピークを作り、そこに向けて徐々に気持ちをアゲていき、ピークから徐々にクールダウンさせて、最後にちょっとだけ華やかにして大団円を迎えるというような、一連の流れを。ここは一つ美しい滝でも見て、この後に控えるメインイベントを迎える気持ちの準備をしようではないかと、流行る気持ちを抑えて、小木津自然公園に向かった。
車で入り口まで行き、案内板をみると、結構な広さのようだ。中にはいくつか滝があるようだが、時間が限られているので徒歩で行ける範囲で一番近い、いしくぼの滝まで歩いてみる事に。途中、蓮の浮かぶ美しい池や水辺の白樺の林などに癒されつつ、10数分ほど歩いてたどり着いたいしくぼの滝は…
想像を絶するショボさであった。なんというカタルシスの無さw。近場で済まそうという魂胆を明け透けに見抜かれた結果の、茨城さん(Like水曜どうでしょう)の俺らに対する仕打ちだと思えば、むしろ純粋に公園を目的に来ていない(単なる腹ごなし)俺らの方が悪いという気にもなるが、公園自体は(特にキャッチーなものはないが)散歩するには実に気持ちよく、良く整備された美しい場所で、訪れた事を後悔させるような要素は何一つ無い。もちろんここだけを目的に訪れるような場所では無いが、俺のように食事メインのツアーをやりながら、行程を邪魔しない程度の時間で気軽に立ち寄れるような、このようにきちんと整備された気持ちよい公園があるというのは非常に有り難い事だ。
というわけで、公園を後にして一気に車を北へ走らせ、茨城のほぼ最北端に位置する大津に到着したのは午後5時をまわっていた。全8室という小規模の民宿と言う割にはなかなか風情のある外観で、もっと鄙びたというよりイナタい宿を想像していたので肩すかし(いい意味で)。中も同様に小綺麗で、これなら快適な一夜を過ごせそうだ。おまけに、比較的最近(90年代)涌いたという温泉も付いている。まさに至れり尽くせりである。しかし、あくまで目的は食事。いくら食後を快適に過ごせても、飯が駄目なら全ては無駄である。あの、西のフグに比べてあまりにワイルドで力強い、ある意味極北といえる味を十二分に堪能させてもらえるのか、二年越しの願望ゆえに到着直後からワクワクが止まらない。
とりあえず先に風呂につかり、腹の具合を完璧に近い状態まで持っていたところでいよいよ開戦。敵は先ず様小手調べいった感じでアンキモを出してきた。ふむ、特別に感動の味わいではないが、臭みを最小に抑えて旨味とねっとり感を十分に引き出した、充分及第のもの。薬味など全く必要なし。これからの怒濤の攻撃を予感させるには必要にして十分な一品。
そして徐々に本気モードに移行。まずはアンコウの刺身。テッサに比べたらもっと大味なもんかと思ってたら、想像以上に繊細な味わいで面食らう。これは美味いわ。勿論鮮度が重要なのであろうが、フグに比べてコリコリ感は控えめながら、旨味はより力強い。生の状態で食い比べると、余計にフグと比較されるその理由が明確になる。ただし、アンコウの身は水分が良く出る(だから水を一切使わないドブ汁という特殊な鍋が成立する)ので、出たらさっさと食う事をお勧めします(ってそんなに頻繁に食う機会は無いが)。水分とともに旨味も逃げるからね。
供酢も勿論頂く。アンコウのコースを食せば、これも外せない一品である。供酢のキモ(ダブルミーニング)は酢みそにある。アンコウのアッサリとした味わいをスポイルすることなく、磯臭さを消す程よいバランスが鍵になる。その点、昨年食った魚力の供酢は、酢みそにまでキモを仕込み、口一杯にアンコウの旨味が広がる幸せこの上ない味であったが、その分若干の臭みも付随してきた(それが俺は好きなんだが)。ここのは逆に、極力アンコウのクセは押さえる方向で、全体に上品この上ない。その分パンチは弱いが、正しい供酢という風情の味である。どちらが好きかと言えば、アンコウのクセや匂いまで愛している俺にとっては、破壊力抜群な魚力の供酢に軍配を上げるが、食べ易さでいったらこちらだろう。
いよいよ本丸が見えてきた。これも鍋と並んで楽しみにしていた唐揚げだ。残念ながら揚げたてを直ぐ持ってきてくれたわけではないようで、若干温度が下がっていたけれど、それでもその魅力を充分発揮していた。アンコウのクセが最もマスキングされる料理の一つなので、アンコウがそれほど好きではない人間でも美味しく食べられる料理であろう。サクサク、フワッ、プリッ、ネットリなど、様々な食感が口の中に踊る。一つの食材でこれだけ多様な食感が楽しめる魚もなかなか無い。
一旦箸休め的にアンコウ以外のお造りも登場。ちょっと引く事でさらにクライマックスをドラマティックにしようという魂胆か。敵もなかなかやる。しかしそこは流石に港近くの民宿、素材の鮮度はやはり素晴らしい。普通の店なら主役級の味である。特にイカの深みのある味わいはなかなか良かった。
いよいよ本丸かと思ったら、意表をついて何故か那須牛(だっけかな?)のステーキ。決して不味くはないけど、今日のこの流れには蛇足というより他ない。一度姿を見てしまったら食わずにはいられないので一応平らげたが、出来れば出さないで欲しかった。焼き物を出すなら、海老とかアワビとかウニの殻焼きとかにすればいいのに。
半ば膝カックンされたような格好でいよいよ本丸に突入。正念場である。この写真はまだ序盤の様子だが、まだ形を保っている七つ道具や野菜類がどんどん渾然一体となってカオスな様相を呈してくる。デロデロになったその様子を形容して『ドブ汁』と名付けられたらしいが、このガサツなネーミングセンスが俺は好きだ。ただのアンコウ鍋とは、文字通り雲泥の差がある事をワンワードで表現しきっている。人を遠ざけるような小汚い表現である事で、突き放したような距離が感じられ、ごく限られたアンコウ好きだけがたどり着ける味であるような印象さえ与える。実際、元々は漁師が水の無い船の上で楽しんでいた、一般人には手の届かない鍋な上、良くも悪くもアンコウのクセを最大限に増幅したような味なのだ。
実際食べてみると、やはり今まで食べたどんなアンコウ鍋よりも濃厚でパンチがあり、純度100%、まるでアンコウの旨味だけが塊になってぶつかってくるようなド級の味である事は確かだ。が、期待した過剰な野性味は思ったより無く、とても食べ易い味であった。HPの物言いを信用すれば、灰汁を丁寧に取り除いてある事でとても食べ易くなっているとの事。確かにアンコウ特有の磯臭さもクセも少ない。この食べ易さは、想像だが、多分料理としての完成度の為に、若干は水も使っているだろうと思われる。
充分ここまで来る甲斐のある美味である事は確かだが、本来のどぶ汁ならもっとドロドロだろうし、もっとクセっぽいだろう。ただ美味いだけのものを期待して期待してここまで来たわけではないので、そこはちょっと残念だったかな。しかし、こんな書き方をすると誤解されるかもしれないが、今まで食べたどんな鍋よりも濃厚なのである。ただ、これが、漁師達が船の上で実際に食っていたものかというと、多分若干違うのである。それは丘の料理屋として当たり前といえば当たり前だし、俺のような期待をする人間は完全にマイノリティであるハズなので、それがここの鍋の美味さを貶める要素には全くならない。
その事は鍋終了後のおじやを食べれば良く分かる。幾ら本物が食べたいと言っても、このおじやを食ってしまうとやはり『一般向けにアレンジしといてくれてありがとう』と言わざるを得ない。かえって鍋で食ってる時よりもアンコウ独特のクセが前面に出ていて、本来のどぶ汁に期待していた何かを十分堪能する事が出来た。もしこれ以上ドロドロの本物のどぶ汁だと、残り汁でおじやを作っても食えた物ではなかったろう。そもそもおじやが作れるかどうかも怪しい。それに、十分に濃厚な出汁をたっぷり吸い込んだ大根の美味かった事…鍋の大根とこのおじやで久しぶりに宇宙を垣間見た気がした。
途中まるで『期待以下であった』ような書きっぷりをしてしまったが、結論的には本ツアーのメインを飾るに相応しい満足度だったし、やはり西のフグの向こうを張るに十分な魅力をたたえた、実に魅力的な魚である事をあらためて確認出来た、とても有意義な食事であった。ただ、やはり『漁師が船の上で楽しんだ本当のどぶ汁』を食いたいという欲求はこれで完全に満たされたわけではない。最早自分で作るしかないのか、それとも密かにどこかの店で供されているのか、引き続き俺の目標の一つとして追い続けたいと思う。