'07 茨城縦断食い倒れツアー 〜その5:二日目昼食(ダブルヘッダー)〜
本日の昼のテーマは、かつて南阿佐ヶ谷にあった名店慈久庵とその支店(というかうどん専門店)の塩町館をハシゴすること。うどんと蕎麦を1枚ずつ、小一時間のインターバルを開けて食うという企画(ってほどのもんでもないが)。
慈久庵について書くということは、(接客や修行場のような店の雰囲気について)酷評する事か、(味について)絶賛する事か、どちらかを強いられると言う事だ。ネットなどで書かれているレビューのほとんどは、その術中にハマって怒ってるか、諸手を上げて絶賛しているかのどちらか。北品川のような店もそうだが、こういうよくも悪くも個性的な店について書かれているものほど、感情的で浅はかで説得力ないレビューが多いのでなかなか素性が分かりにくい。興味もあるのでここは一つ自分で確認に行くしか無いだろうとの思いもあり、多くの魅力的なそば屋が集まるこの地帯で、あえてこのかつて東京で一時代を作った店を選んだ。
って、実は俺も一度だけ阿佐ヶ谷で食べた事がある。確かに雰囲気は異様だった。待っていても呼んでも貰えないしとにかくいつまでも待たされる。しかし皆一言も漏らさず、ひたすら巣で腹をすかせているヒナのように蕎麦を待つだけ。特にフロアにいる奥さん(?)の愛想の無さといったら、笑いをこらえるのに必死だったのを覚えている。
しかし蕎麦は流石に衝撃的に美味かった。これほど甘みと余韻をいつまでも残す蕎麦は未だに食べた事が無いかもしれない。あの味は安易に値段とバーターにかけられるものではない。スキモノならば。
結局のところ、俺は移転した事による店主や店の雰囲気の変化を知りたかったのだ。蕎麦は美味いに決まってる。少なくとも阿佐ヶ谷より環境も素材もグンと良くなっているのだからさらに美味くなってるに決まっている。長閑な田舎に戻って本当にやりたかった形で店を開き、心身ともにリラックスしたであろうあの名店がどう変わっているのかに興味があったのだ。
◆昼飯その1:塩町館@常陸太田
大洗の港から車を飛ばして1時間。開店より30分程早く着いてしまったので近くの資料館などで時間を潰し、開店と同時に席に着く。明治時代の旧太田銀行跡地を利用した店内の雰囲気もスゴぶるいい。ちなみに隣にはAubergineの支店が(何故こんなところに?)あり、この一角だけ周囲からかけ離れたハイソな雰囲気を漂わせている。
この店は前述の通り慈久庵のうどん部門(といっても結局蕎麦も始めたらしいので文字通り支店だ)の店である。地元産の小麦を使い、自家製粉、手打ちのうどんが楽しめる。やはり地方に来たら、多少遠回りしてもこういう地産地消の意気込みを感じるような店にきたい。
まずはつまみに(酒飲まないけど)地ネギの天ぷらを。殆ど素上げのようにしてカリッと揚げられたネギの香りがたまらない。歯応えも軽く甘みも仄かな苦みと土のにおいのような香りもあってとても美味い。地ネギはこのあと夜に生で食べる機会があったのだが、辛味と青臭さが爽やかで田園風景がよく似合う味。この環境で食うこのネギの味というのは、この旅の一つの象徴的な味と言えるだろう。今でもとても印象に残っている。
そして早速おまちかねのうどん。想像以上に飴色が強く、殆ど茶褐色といってもいい色で、光沢が強くとても艶かしい麺である。国産の小麦らしく香りもとても高い。讃岐のそれとは見た目も味も全く異なる。コシは強いが讃岐のような粘りはなく歯切れがいい。そして噛む程に口に広がる香ばしさが一番の違いだ。蕎麦を楽しむかのように食べるうどんと言おうか、なんとも凛とした気持ちにさせてくれる。食べ進むごとに身体が浄化されるような感じだ。量はそれほど多くなく、美味いのに食べ終わるとお替わりしたい気持ちにならないのは不思議だ。うどんの品の良さが『たらふく食いてぇ』みたいな下世話な気持ちを抑える効果があるのかw。それでいて満足感は高い。
デザートで気になった名前があったので頼んでみた。名前を『柿のうんてろ』という。うんてろ....この地の郷土食なのだろうか。渋柿を柔らかくなるまで熟成(?)させてそのまま干し柿にせずに凍らせたものだという。干してない干し柿のシャーベットという感じだ。これがまた素朴な味でなかなかに美味しい。〆には最適の一品である。
ここもあの慈久庵の支店ゆえ、それなりの接客を受ける事を覚悟していたが、自ら一人で切り盛りする店主は愛想もとても良く、待たされもしない(まぁ客は俺らだけだったが)し、水も持ってきてくれるwし、真っ当に感じの良い接客で、多少拍子抜けという感じであったが、とても気分よく店を出る事が出来た。これはこの後の慈久庵も田舎暮らしですっかり角が丸くなっているのではないかという想像が頭を過りつつ、昼飯はまだ半分しか消化していない。次の目的地へそそくさと出かけた。
◆龍神大吊橋
GW序盤にも関わらず、渋滞どころか対向車も殆ど見かけない程のすきっぷりで思った以上に早く着いてしまったので、丁度鯉のぼり祭りを開催中の 竜神大吊橋を渡ってみる事に。どうやって吊るしたのかは知らないが、本州1の高さを誇る吊り橋と平行に1000匹以上の鯉のぼりが風に靡いている様はなかなかに壮快....なんだが、幸か不幸かこの日は割合に穏やかな天気で、風が吹かない時はもの凄く壮大なメザシにしかみえない....。しかしこれだけの数の鯉のぼりを一度に見たのも初めてで、その素晴らしい景観と相まってなかなかの見物である。
◆昼飯その2:慈久庵@常陸太田
腹ごなしも済んだところでいよいよ問題の慈久庵である。国道から吊り橋へ至る道の途中にある。店構えは立派。内装も窓から見える景色も長閑この上ない。ただし店の中には客しかいないw。待ち人は一組。座って待つ事にする。そこで待つ事30分。その間2組の後客が待てずに帰っていったw。『おお、やはり慈久庵だ』との想いを強くしながらひたすら待つ。店主はこちらには目もくれず、あくせく厨房と客間を行き来している。その表情は、ツンツンしているというよりは、『一刻も早く作ってテーブルに届けないと!』という焦りに感じられた。
ようやくテーブルに案内されると、となりの客は(やたらグルメ談義をこれみよがしに披露するバカが率いる、いかにもな30前後の4人組。そのバカは用賀のら・ぼうふの話を延々としていた。なんで茨城のそば屋に来てまで用賀の焼き肉屋の話すんだよ)結構な大声で会話しているし、二つとなりのテーブルは小さい子供を二人連れた家族だ。何か違う。GWだからか、かつての修行場のような雰囲気は無く、とびっきりの環境を楽しむ和やかな客達ばかりで、フッと横を見ると水が....。セルフの形だが、無くなっていれば店主自ら補給している。うーむ、なんだこの居心地の良さはw。
テーブルについてさらに15分ほど待ってようやく注文を取りにきた店主は、昔よりも老けた所為か、はたまた田舎に戻った事の安堵の感情か、東京時代よりも表情が和らいで見えた。そして淡々と注文を取って素早く去っていった。
こちらでも地ネギの天ぷらや柿のうんてろはあったので、その辺の季節のメニューは共通しているのだろう。その辺は避けてまずは刺身こんにゃくから頂く事にした。流石に名産物。仄かな土臭さと絹のような舌触りは絶品だ。この後あの香りと甘みを極限まで引き出したそば切りが食えると思うと、出しゃばりすぎずそれでいて後々まで印象に残る、序章としてはこれ以上無い一品である。
来ました。舌の記憶と言うのは凄いもので、何も付けずに一口食べた瞬間、ディテールまで完全にあの阿佐ヶ谷で食った味を思い出した。何も言う事は無い。蕎麦という食い物の一つの到達点だろう事は間違いない。ただ、かつてと違うのはこの素晴らしい景観を含めた環境。このシチュエーションで食う事で、店主のコンセプトは完成されたのだと思う。そして死ぬまでここで同じものを作り続けるのだろう。この店での小一時間の滞在が10年20年にも感じられ、もっと先まで続いているだろう事が容易に想像出来た。素晴らしい食体験だった。
店主は(他の客と軽く冗談を言い合ったり、時折見せる表情は柔らかくなったなぁと思ったが)それほど変わったという感じはしなかったし、相変わらず異様に待たせるのだが、果たしてこの居心地の良さはなんだろう。環境か、客層か、店主そのものも変わったのか、もしかしたらその全てかも知れないが、東京で感じたあの威圧感はまるでなく、どれほど待たされても全く手持ち無沙汰にならず、ボーッと窓からの借景をみているだけでリラックス出来る居心地の良さに心底癒された。これは俺の想像だが、店主の愛想の無さは、純粋に蕎麦とこの素晴らしい景色の組み合わせを堪能して欲しいとの想いから、まるで路傍の石のごとく、自らの存在をこの食事の場から消したいのではないか。そう考えればこのゆっくり過ぎる時間の流れも、極力コミュニケーションをしない店主も合点が行く。事実蕎麦を運んでくる時も、そっと来てそっと置いて半ば申し訳なさそうに去っていく。自ら畑を作りそばを作り、石臼で挽いて打った蕎麦にもかかわらず、『どうだ、これ俺が作ったんだぜー』という感じがまるでなかった。全ては純粋に食事と環境を楽しんでもらうために黒子に徹するためではなかろうか。会計を済ませて店を出る前に見せた店主の笑顔を見て、そんな思いを抱かずにはいられなかった。
◆大子温泉 森林の温泉(もりのいでゆ)
美味い蕎麦を堪能して竜神峡で腹ごなしをしたら、恒例の胃の最適化w。夜の奥久慈シャモのためにフラグメンテーションを解消しなければならない。車でさらに北上してたどりついたのがこの温泉。つくばでのお湯は印象に残らなかったがここは素晴らしい。特に鬱蒼とした森に囲まれた露天の気持ちよさは格別だ。人気のお湯なので流石に混んでいたが、それでもこのお湯には一度浸かってみる価値はある。森の中のお湯ということでは、先日日帰りで行ってきた箱根の楽遊壽林自然館も素晴らしかったが、静けさは箱根、雄大さは森林の温泉という感じか。
さて、長々と温泉に浸かっているうちに日も暮れかけ、夕食の時間である。今晩の夕食は、本旅においてある意味一番心待ちにしていた食事だ。期待に胸膨らませつつ、目的地の宿に車を回す。