'07 茨城縦断食い倒れツアー 〜最終回:三日目夕食〜
途中高速を使ったりしながらなんだかんだで大洗に着いたのは4時過ぎ。相方の観光の目玉でもあるアクアワールド大洗の閉店時間が5時なので、急いで見物に。4時半のイルカとアザラシのショーにも間に合い、短時間で全ての水槽を回ったため大した運動になり、腹もこなれてきた。
ここの魚は何故かフォトジェニック。素人の撮影にもかかわらず、なかなかにいい写真が沢山撮れた。毎回必ずと言っていい程水族館には行くのだが、実際に見た感じと、撮ってみていい写真が撮れるかどうかは別問題のようだ。
その後、大洗のアウトレットモールに寄って珍しく買い物なんかしたりして、自分への誕生日プレゼントにこんなの買ってみたり。ヤフオクでは相変わらずこんな値段で売ってますが、大洗のアウトレットでは24800円で普通に売ってましたがな。
そんな事をしてたらすっかり日も暮れて、とうとう帰る時間が近づいてきた。最後の晩餐の場所ももう決めて電話もしてある。いつもこの時間は寂しいもので、既に疲労も大分蓄積されているにも関わらず、もう一度最初からやりなおしたい衝動に駆られる。これは『今まで選んだ店に裏切られた試しが無い』という事の証でもあるのだが、気持ちは前のめりでも所詮は40近いオッサンだ。身体が『もう頼むから帰ってくれ』と言ってる。仕方が無い、最後の店に向かおう。
◆三日目夕食:たけちゃん@大洗
ところが、行けども行けどもたどり着かない。どうも曲がるポイントを見失ってるようだ。ようやく『ここほんとに入れんのか?』と思えるような、道ともあぜ道ともつかない、初心者にはハードル高過ぎる極狭な道(小さい車でホント良かった)を抜けると、周りは畑しか無いような真っ暗な闇の中にポツンと明かりが....香川の山内や蒲生もびっくりなロケーションで、新鮮な魚を出す店にあるまじき環境。全く、旅の最後まで来て、まだこんな新鮮な驚きが用意されていようとは。茨城あなどれん。
ここはその日穫れた新鮮な魚しか出さない、地元では有名な隠れ家店らしい。そう聞いていなければとっくに引き返していたであろう道を乗り越えてたどり着いた場所は、外とは全く世界が違うイナタい場末の魚料理やの空気感が漂っていた。メニューなんて当然ない。ただ、今日お勧めの魚を、どう調理するかだけ決めて注文するしかない。調理といっても刺身か、煮るか、焼くか、といった基本的なものだ。新鮮であればそれで充分。最後にこういうホッと出来る店を選べた事に、前回同様また心の中でガッツポーズをとった。
お通しはホタテの煮付けと地ネギを生で。地ネギはその辺の畑に生えてたのを今穫ってきたかのような新鮮さ。二日目昼に天ぷらで食ったアレだ。普通のネギと違ってエシャロットのような形をしているが、味も少し似ている。程よい辛味が後を引く。そのまま焼いてもさぞ美味いだろう事が容易に想像出来る。地ネギでこういう出し方が出来るなら、魚も期待出来そうである。
まずはお造りから。タコやイカ、ホウボウなどに加えてアワビがいいの入ってるということで、それもお造りで出してもらった。いやー、参った。なんでこんな新鮮なお造りを畑のど真ん中で食ってるんだ? しかもどれも味が濃く甘い。ただ新鮮なだけでなく、おっさん目利きとしても凄腕と見た。こういうのはなかなか写真で伝えるのは難しいが、ただのお造りで近年まれに見る感動を覚えた事は確かだ。少なくとも東京では久しく無い。
続いて焼き物。色々ネタがある中からお勧めされたマス(トラウト)を焼いてもらった。うーむ、これまたホックリいい味。焼き加減もパサつきが全くなく秀逸。そして香ばしい皮がもう....たまりませんな。トラウトというと大味な印象がどうしてもあった(このポーションの大きさも手伝って)が、それは今まで食べた店が悪かったのだな。素材選びと焼き加減を間違わなければこんなに美味くなるのだ。また目から鱗が一つ落ちた。
これなら帰って変な事は頼まず、定番に徹した方が楽しめると思い、カレイは煮付けてもらった。なんだかことごとく裏切られる。当然良い意味で。カレイってこんなに滋味深い魚だったのか。そりゃ時期にもよるだろうが、トラウトといいカレイといい、『鮭やヒラメの代用品、大味』という印象の否めなかった魚達に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
何せ二人で食ってるので、既に腹もいい感じで落ち着いてきたのだが、一応『他にお勧めあります?』と聞いたところ『カサゴがあるよ』との返事。おお、それならおあつらえ向きだ。生もの、煮物、焼き物ときたら最後は揚げ物だろうということで、唐揚げにしてもらった。もうこの流れで(悪い意味で)裏切られるハズもなく、この素晴らしかった旅を締めくくるに相応しい堂々とした一品。写真でなんとかこのカリッと香ばしい外とシットリジューシーな身のコントラストを想像して下さい。この期に及んで骨まで残らずしゃぶり尽くしたい衝動に駆られる一品。
しかしハイライトは最後の最後に残っていた。流石に満腹になったところで出された、今まで出てきた魚のアラを使った汁がまた絶品。また演出が心憎い。一口飲むごとに、これまで食べてきた魚達の旨味が走馬灯のように感じられ、その一皿一皿の思い出wを反芻しながらしみじみと味わう。そのとき俺の頭の中にはサライが鳴り響いていた事は言うまでもない。まさに骨の髄まで味わい尽くすとはこの事。あらためて、ああ、今回もいい店を選べたなぁとの思いを強くして全ての食事を終える事が出来た。至福。
両脇の植え込みに車体をこすりつけながら、さっき来た極狭な道を戻りつつ、今回のツアーを思い返す。茨城も、今までツアーを行なった県に負けず劣らず美味いものの宝庫であった。奥久慈地鶏しかり、久慈蕎麦しかり、刺身こんにゃくしかり、大洗の魚介や大津のアンコウしかり....筑波のピッツェリアで、地方の底力も垣間みたし、山奥でこだわりの鴨も味わう事が出来た。そしてなにより、こういう旅をする事で都心では絶対味わえない体験をするたびに、食にまつわるあらゆる事象に対しての感謝の気持ちを強くする。それは、美味い食材というものが一体どういう環境で、どういう人たちによって育てられ、どういう形で我々の口に入るのかと言う事の断片を、リアリティを持って垣間見えるからだろう。それが人の多く集う場所に移動するにつれて、ある素材は単に鮮度が落ち、ある素材は単なる金儲けの道具にされ、色々な意味で汚れていく。それがどう味に影響していくのかも、こういう旅をする事で朧げに見えてきたりする。そりゃ勿論食の世界も、他の分野と同様に裏表色々ある(特に最近同和と食肉の本や、屠畜に関する本を読んでたりするので)だろう。純粋なだけではいられない場面も少なくない。それでも、時間と金の許す限りこういう旅をして、自分なりの良心というか、軸がブレないよう、マヒしないよう、偽善者にはならないように心がけたいものである。そもそも、生き物を殺して食うという事自体、決して綺麗ごとではないのだから(ただし殊更に神格化する必要も無いが)。
って、別に暗い気持ちでこの旅を終わったわけではなく、むしろどんどん旅する楽しみが増えていく充実感に満たされた帰り道であったので誤解なきよう。
さて、次はいつ、どこに行けるだろう。候補はいくらでもある。行けば確実に素晴らしい体験が待ってる事も決まっている。あとは地図を広げて、その上に人差し指を置くだけだ。
(完)