あじめどじょうのコース@河原町泉屋
もう既に2007ベストにも載せてしまったし、店としては既に紹介してしまっているのだが、、店の紹介というよりは貴重な食体験としてどうしても紹介したかったので、エントリーを上げる事にした。このエントリーを皮切りに、岐阜の食を3連ちゃんでピックアップする予定(いつ完了するかは未定)。
さて、この『あじめ(味女)どじょう』という魚。淡水魚に限らず魚類としてはかなり希少な部類に入る。このblogを読んでる殆どの人が食べた事も見た事もないだろう。当然俺も知らなかった。だが調べれば調べる程、この未知の魚の凄さを感じ、やがて自分の無知を恥じ、いてもたってもいられなくなった。なにせ個体数も少ないが、食材としても15000円/kgというとんでもなく貴重な魚である。高級という意味では大間の本鮪クラス。
それゆえ、どじょうという名前で、生物学上もどじょうの仲間であるが、味は浅草のアレとは全く別物と言っても差し支えない。後ほど個々の料理紹介の中で詳しく述べるが、特に子持ちの味女の鮮烈かつ濃厚な風味と爽やかな後味は、筆舌に尽くしがたいものだ。ふぐや黒鮪の大トロあたりをピラミッドの頂点として、訳知り顔で安心している場合ではない。日本にはまだまだ悔しくなる程未知の美味が沢山ある。それを痛い程教えてくれたのが今回の食事であった。
そもそも、なぜ信州でも近畿の人間でもない俺が、このような貴重な魚を食す機会に恵まれたかというと、いつもお世話になっている川原町泉屋の泉さんからこんなメールを貰ったからだ。曰く、
『ところで、パスタマンもご存じないでしょうが、幻の川魚「アジメどじょう」が入荷しました。仕入れ価格 15000円/kg 。とんでもなく貴重なものですが、かなり確保しました。「唐揚げ」は最高、今、丸鍋を開発中です。清流にしか生息しないので、泥臭さが全くなく、ネギや牛蒡を入れると、かえって味の邪魔をしてしまいます。』
わざわざ川崎在住の俺に、岐阜からこんなお知らせのメールをくれる泉さんも泉さんだが(『奴なら喜んで来るぜ、きっと』とすっかり見抜かれてるw)、当然のように車飛ばして岐阜まで行く俺も俺である。でも行かざるを得ないのである。柳川には必須のネギや牛蒡でさえ味の邪魔をしてしまうほどの泥鰌って、一体どんだけの味やねんと。想像はつかないが、少なくともこれまでの俺の常識(つまり先入観)を覆す味を持つ素材である事だけは確かである。それを鮎使いの名手が料理する。こちらにいては、幾ら払っても体験出来ない時間を過ごせるだろう。その時間の全てを以下に記す。
まずは『これで味女の凄さを思い知れ』とばかりに定番の煮付けを出された。何せ初めての味ゆえ、心して味わう必要がある。久しぶりに若干緊張しながら一匹口の中に放り込むと....ここのところ無かったほど大きな期待を抱いてこの魚と対峙したハズなのに、そんなものは軽く吹き飛ぶ程の衝撃の味わいだ。こういう味こそが、まさに混じりっ気の無い高純度の旨味。形容でも比喩でもなく、一切の無駄な成分が存在しない、純金のごとき純度だ。決して濃厚というわけではない。ただひたすら純粋なのだ。今まで、魚類でここまで雑味の無い味を体験した事は無い。それをまさか、泥臭さの代表のような(それがいいという側面も勿論ある)泥鰌という種で味わう事になるとは想像もしなかった。味だけでなく香りも、噛む程にまるで上等の鮎のような爽やかな刺激が鼻を抜ける。この完璧とも言える深い味わいは、海水魚にはない淡水魚特有の味の方向性の、一つの到達点だろう。
勿論それは、研究の末それを出来るだけストレートに味わう事の出来るように仕上げた泉さんの調理技術があっての事だ。薄味で、甘めに振られた味付けは、砂糖を使ったような下品な甘さではない。今このとき、どれほど貴重な時間を過ごしているかを、ひしひしと感じられる一皿目であった。
そしてこれが、個人的に味女の調理法として最も気に入った唐揚げ。ただの味女ではない。子持ちだ。写真の右上の方に少し見えるオレンジ色が、爆ぜた卵である。これはもう.....うーん、表現すべき言葉が見つからない。前述の純度高き身の味わいに、卵の(この見た目からは)想像を絶する濃厚さのコントラスト。味付けは何も要らない。ただただ、人間の食の至福のためだけに生まれてきたような魚だ。この卵の旨味に比べれば、上海蟹もフォアグラも、下品と言わざるを得ない。これだけの味である。いつもならこれをパスタの材料に使いたいと瞬時に思うところだが、この素材だけは恐ろしくてとても使う気になれないと、初めて思った。
ただ泉屋さん曰く、『卵の濃厚さを生かす調理法としても、唐揚げは最高なんだけど、どうしても爆ぜてこぼれてしまう。この美味い卵を100%腹に収めたまま揚げる方法があれば...』と(敢えて言うなら)この魚の欠点(?)を述べていた。それは実際食ってみてまさにその通りだと思った。皿にこぼれた一粒さえ舐め取りたい程美味いのが、この味女の卵なのだ。
途中出されたこの和良川の鮎を食って、あらためて味女の凄さを思い知る。最早時期ではないが、大きさは夏前に食ったものより大分大きい。いつもの通り、泉さんの手腕によって最大限に美味さを引き出されたこの鮎の最高峰と比較しても、感動の度合いは全く引けを取らないどころか、初めて食べるという新鮮さの分だけ、感動も大きい。しかしこの鮎、やはり夏前に食べたものよりさらに風味が増し、特にワタの辺りのなんともいえない青さと爽やかさを感じる味わいはやはり凄い。苦みも消え、深い甘みだけになった時期の、泉さんの焼く和良川の鮎は、あじめどじょうを食って衝撃を受けている最中でさえ、(俺の知る限り)淡水魚料理の最高峰と言わざるを得ない。
子持ち鮎の田楽も勿論デフォルトで。コメントは前回食べたときと同様。田楽という手法を、単に素材の旨味を補強してクセをマスキングするためのものと思ったら大間違い。ここの鮎の田楽を食えばそれが全て分かる。
そしてとうとうメインの柳川鍋までたどり着いてしまった。柳川といえば、東京の人間にとっては駒形どぜうだが、そこの大将のインタビューがなかなか面白かったので載せておく。もともとの俺の知識では、福岡の柳川市と柳川鍋は全く関係ないと思っていた(江戸の柳川という店が最初に出したという説でファイナルアンサーだと思っていた)が、実は関係があったらしいのだね。最近は福岡の柳川にも柳川鍋を出す店が増えてきたとWikiにも載っていたが、『単に名前が一緒なだけで由来には関係ない』というわけではなく、江戸の専売特許というわけでもなかったわけだ。
ああ話がそれた。この味女の柳川、泥鰌で柳川にしてるのだから、どうしても駒形のアレと比べてしまうが、全く別の料理といっても不思議ではない。それほど次元の違うものだと感じた。勿論俺は東京出身の関東の人間ゆえ、駒形どぜうに相応の魅力を感じるし嫌いじゃない。あの泥臭くも濃い旨味と牛蒡の組み合わせは、あれはあれで悪くはないものだ。これぞ江戸庶民の誇るべき料理とも思う。しかし、食材が味女に変わり、味付けも砂糖なんてものは使わず、熟成された味醂の甘みと味女から出る旨味のみを生かしたものになると、庶民の味と呼ぶには難しい、繊細で優雅で品のある味に変わる。勿論どじょうらしい旨味の濃さはそのままで。
この調理法で分かったのは、味女から出る出汁の旨味の濃さだ。唐揚げや煮付けで感じた旨味から察しても、正直まさかこれほどとは思わなかった。一体どういう調理法を用いればこの食材の穴が見つかるのか、皆目見当もつかない。勿論、この美味さを最大限引き出すにはそれに見合った技術が要るが、逆に不味く使うのがこれほど難しい魚もいないのではなかろうか。『うなぎ=蒲焼き』のように、食材には必ずそれに最も合った調理法が存在する。ところがこの日食べた調理法のどれもが、『これこそこの素材を最も生かす調理法だ!』と思えてしまう程、どのやり方で調理してもまるで違った凄さを見せつける。それがこの食材に驚愕するもう一つの理由である。
ということで、写真数の割に長々と書いたので、〆は短く、言える事は一つだけ。『この魚を食わずに死ぬ事ほど勿体ない事は無い』だ。どうせ人間に、そして日本に生まれたのだから、誰でも一度は食べてみてほしい、淡水魚の最高峰の一つである。地球上の全ての魚介類を食い尽くしたわけではない(つーかそんな事一生の間には無理)ないので世界一とは言わないが、少なくともこの魚を食った事の無い人間が言う『魚介類の中で○○が最高峰である』という物言いを俺は絶対に信用しないだろう。