永楽@大井町
もうラーメンを積極的に食わなくなって随分経つ。勿論食べてないわけではないが、昔は積極的に雑誌やネットで情報を漁り、スタンプラリーのようにしらみつぶしに食いに行ってた事を考えると隔世の感がある。『もういいかな』と思った理由はいくつかあるが、結局ある種の『やり切った感』がそうさせたのだろうと思う。
そしてあらためてその頃の事を思い出しながら、あの頃星の数ほど食いまくったラーメンの中で、今、脊髄反射的に食いたくなるのは、技巧を凝らしたニューウェイブ系でもなく、素材に拘りまくった高尚なものでもなく、結局のところこういうラーメンだったりするのだ。もう50年くらいほとんど味が変わってない、通称『ゴミラーメン』と呼ばれる焦がし(すぎ?)葱の効いた醤油ラーメン。麺もピロピロだし、スープの旨味には深みなんてものは皆無だし、お世辞にも今時積極的に食うようなものではない。かつては常に後回しにしていた類いの一杯。しかし、あの『喧噪』から離れてた今、フッとラーメンが食いたくなったとき、まず思い出されるのはこれだったりするのだ。
見よこの食欲をそそらない外観w。スープはどす黒く、ゴミ(揚げ葱)が大量に浮いてる。しかし見た目に反して味は優しく、そこまで焦がしたら苦いだろうというくらい黒くなった葱からは、苦みの代わりに香ばしさ、それに加えて仄かな甘みまでがスープに溶け出していて、なんともいえない独特の風味を作っている。そこに、昔の中華街の裏通りの小汚い定食屋でよく見かけたようななピロピロの平打麺を絡めると、何故かこれ以上無いマッチングを見せる。シャキッとしたもやしも、今時固すぎな卵も、どれを欠いてもこの小宇宙は成立しないと思える完成度。
ちなみに写真はチャーシューメン1050円(通常のラーメンは確か530円)なり。チャーシューが増えただけでお値段倍。普通あり得ない価格バランス。しかし分かっていてもチャーシューを頼んでしまう。この食べ終えた後の満足感は他に代え難いのだ。それほどここのチャーシューは魅力的だ。やはり見た目からは想像出来ないけどね。
これと同じような感覚は、二郎にも渋谷の喜楽にも横浜の吉村家にも感じる事が出来る。特に吉村家は、最も多感な小、中学校の頃から行ってたので、今はすっかり行かなくなったけどやはり特別な思い入れがある。クリーミーなスープに太く縮れた食べ応えのある麺、独特の香ばしい香りのするチャーシュー。5年前に食ったラーメン屋の大半は味すら忘れたが、30年近く経ってもあの頃の吉村家の味はハッキリ舌によみがえる。誰にでもこういう『心の食べ物』というのは一つや二つ持ってると思うが、この年になって、これだけ沢山のものを食って、ようやくそれが自然と素の自分の味覚として根を張ってきたんだなという事を実感している。俺には田舎と呼べるものはないけど、こういう『帰るべき食べ物』がある(勿論ラーメンだけじゃないけどね)からこそ、食うにしても作るにしても様々な冒険が出来るのだなぁとあらためて感じた次第。