'07『中部3県食い倒れ紀行』その2〜1日目の夕食
◆一日目夕食:場所&名前はシークレット
世話になったマイちゃん達と東京での再会を約束し、再び知多半島を北上、名古屋経由で岐阜駅に到着したのはもううっすら夕闇がかった頃だった。とりあえずホテルに荷物を置き、本日ディナーを共にする予定の田中屋の若旦那と駅で合流、既に現場近くにいる、今回エスコート役の泉屋さんの電話ナビゲートによって到着したのは、いい感じに枯れた趣の中華料理屋であった。
『JR岐阜駅からしばらく歩いてたどり着くひなびた中華屋。普段は極上の餃子やチャーハンを供する何の変哲もない(勿論その辺の中華屋ではとても太刀打ち出来ないレベルの)中華料理屋なのだが、ごく一部の常連(ゴールド会員と呼ばれていたw)にとってはまったく別の顔をもつ。
そのごく一部の常連だけを呼びつけ、山で自ら為留めた野生の鴨、鹿などの和製ジビエを、利益無視の値段で、これでもかという圧倒的な量で食わせる、ほとんど親父の道楽としか思えない営業形態に変貌する。 』
今回訪れたこの店を端的に説明するとこうなるのだが、これ、このblogの読者なら聞き覚えのあるフレーズだろうw。そう、料理内容こそ違えど、あの愛すべき北品川と限りなく近い形態をとっているのだ。やはりあるところにはあるものである。ただし、『それ』にありつくためのハードルは北品川よりさらに高いと思われる。まずその存在自体が全く公になっていない。地元の限られた常連の他に、ごく一部のフードジャーナリストなども訪れているらしいが、訪れた人は絶対にその存在を口外しない。試しに検索もかけてみたが、情報らしい情報は何も出てこなかった。
いや、正確には、店自体は年中そこにあるし、いつでも入店して食べる事は出来るのだが、食えるのはラーメンや餃子等、通常の中華のメニュー(これもまた結構美味いのだが)だけなのだ。いつでもそこに見えているけれど、ごく一部の見える人にしか見えない『食のパラレルワールド』がそこに存在すると思ってもらえればいい。例えば同じ店内で、以下に紹介する絶品(という形容すら陳腐に思える)和製ジビエを堪能する人々と、ごく普通にチャーハンや餃子を食べている人々が同時に居るとしたら、まるでマジックミラーで仕切られているかのように、こちらからは向こうが見えるが、向こうからはこちらが見えない、というのと等しい状況になるのだ。ある意味北品川より随分とやっかいな店である。そしてそこで繰り広げられる、めくるめくジビエワールドはもう、それこそ言葉に尽くせない程の喜びがある。鴨を使った料理なら洋の東西を問わず色々と食った俺だが、今回ほどの感動を与えられた事はかつて無いと断言出来る。
まずは焼き物から。『さっと炙るくらいで結構ですよ。生でいけますから』との言葉に従い、片側3秒ずつ焼いて口に放り込む....この瞬間、今まで味わってきた鴨肉が全て記憶の彼方に消し飛んだ。これでも『絶対凄いものが出てくるに違いない』と心構えはしていったつもりなのに、そんな決意はクソの役にも立たなかった。まず最初に来るのが口に広がる甘み。『甘みを感じる』とかいうレベルではなく、ハッキリと『甘い』と感じたのは初めてだった。そして次に感じるのがこの尋常ならざる柔らかさ。野生の飼われていない鴨とは、今まで食った鴨とはここまで違うものなのか。勿論生でも試してみたが、その味の濃さと鴨特有の素晴らしい風味は、他の鳥類の追随を許さない。最初にこんなもの出されては、唸る事すら出来ず、もはや呆然とする他ない。あとは店主と泉屋さんに全てゆだねるのみである。
塩胡椒に飽きたら(って何皿でも飽きないんですが)、定番マイユのマスタードをちょっと付けて食べると、また余計に甘みが引き立って美味い。かつてマスタードにこれほど必然性を感じた事は無いw。ちなみにこれ、泉屋さんの持ち込みである。ついでに言えば今回合わされたワインも全て持ち込みだ。泉屋さんレベルの人間だからこそ許されるのだろう。良くわかってる店と良くわかってる客が共同で作り上げる最高の晩餐。この瞬間この場所でしか得られない、一期一会の極地と言える。
続いて鴨のササミを刺身で頂く。ササミも初めてなら刺身も初めてだ。磨き上げた金属か?wと思う程の光沢が実に艶かしい。これがまた、脂の無い部分だからこそ味わえる鴨肉本来の甘み。先ほどのロースよりさらに凄い事になっている。こんなに早い段階で思考崩壊寸前に追い込まれたのも近来ない経験だ。先に進むのが怖い気すらしてくる。
間髪入れずに今度は鹿肉の塊がどーんと目の前に....。鹿はついこの間でかい塊を捌いたので分かるのだが、スジの部分を取り除いて完全に柔らかい赤身だけにすると、こんなに厚みのある塊はなかなか取れない。さぞや型のいいものだったのだろう。また同様に味の方も、鹿の生肉の美味さは先日思い知っているので、見るからにジュージーそうな姿に期待も高まる。
しかも焼き手は、日本一といってもいい鮎焼きの名手、泉屋さんその人である。鹿肉だけならまだしも、こんな贅沢が許されるのか....まさに最高の素材と最高の技術のマリアージュ、金を幾ら積んでも味わえない。そこらに転がってる軽〜いプレイスレスとはわけが違う。
そしてこれが焼き上がり。お見事(児玉清)。流石に美しいグラデーション。俺が焼いたのとはわけが違う(当たり前)。味の方も言わずもがな。外側の焼き目の香ばしさと活性化した旨味、内側の生肉ならではの甘みと舌触り、そしてそれらが見た目同様グラデーションをなして溶け合っている。至福。
次に出てきたのが意外にも何の変哲も無い鶏。『ん?』と思ったが百聞は一見に如かず、とりあえず焼いて食ってみる。すると思った以上に強い弾力と溢れる旨味。『おや?・・・いやまさかな』と思って『これも美濃の地鶏ですか?』と聞くと、『いやいや、これは宮崎地鶏よ』と。やはり! このシコシコ小気味いい歯ごたえはまさしくアレだよなぁ。まさかこんなところで味わえるとは思えなかった。鶏は宮崎が一番と思っている俺には嬉しいサプライズであった(鶏インフルなんざ関係無し! 頑張れ宮崎の養鶏業者)。ああ、早く宗八に行って、おばちゃんの焼くモモ焼きが食いたい....
そしていよいよメインの鴨鍋&鴨しゃぶである。まずは皿の中央に盛られたモモ肉(写真左上)だけを、味噌ベースのスープが入った鍋に入れ、続いて野菜(写真右上)も投入して通常の鍋を完成させ(写真左下)、その鍋にスライスをしゃぶしゃぶ(写真右下)して食べる・・・・・う〜ん美味い! 最高! 蕩けるようで程よい噛み応えがある肉質がたまらん! 鍋ほど美味い不味いの差がマスキングされがち(素人でもそこそこの味になっちゃう)な料理もないが、ここまで明確に『俺にはとてもこの味は出せん』と思わされたのは随分と久しぶりだ。素材の力とは本当に凄いものだ。
猿のオナニーのごとくしゃぶしゃぶに狂っているさなか、突然出されたのがこの皿。その時の泉屋さんの第一声が『いやぁ〜、パスタマン運がいいよ〜。これは滅多に食べられんよ』であった。あまりの興奮のために(マジです)この写真だけ異様にブレているのをお許し頂きたい。手前が血肝、左奥が砂肝、右奥がこころ(ハツ)、いずれも刺身で食う。今まで色んな内臓を食ったつもりだし、レバ刺しを初め色々な内臓の刺身を食ったが、この三つは今まで食ったものとはまるで別次元の味だ。まぁ初めて食うのだから当たり前だが、鶏と比べても甘みや舌触りが段違い。鴨という食材を今までどれだけ知らなかったかが嫌という程思い知らされた。いや、俺だけでなく、世の中のほとんどの人は知らないのだろう。やはり、日本は広いよ。
どうにも上がり過ぎたテンションを沈めるため、箸休めにw餃子を焼いてもらった。これは通常店でも出てる(であろう)餃子である。これがまたなかなかに美味い。餡は旨味が濃く、皮のプリンとした食感が何とも気持ちいい。これ一個食っただけでも店の実力のほどは良くわかるのだが、地元では結構な有名店なのだろうか。それにしてはネット上にあまりに(通常の営業形態での)情報が少なすぎるが。不思議だ。
続いて端切れ(?)の鴨肉を使った鴨チャーハン。〆に最適な一品。細切れでもしっかり鴨の味わいがチャーハン全体に染み渡っているのだから、あらためて今回出てきた鴨の凄さに驚く。個人的には味付けが少し濃いように思ったが、酒飲みの〆にはちょうど良い味だろう。これも餃子同様、通常営業の中華でのレベルが伺える一皿。近くにあったら普通に週1〜2ペースでランチに行きたい。
そろそろ終盤だがまだ終わりではない。泉屋さんの要請で、ここに来る前に買ってきたパンと、『パスタマンに是非食わせたいもの』が、ここでようやっと登場することになる。俺に食わせたかったのは写真右上の白いペースト。なんと鮎のなれ鮨で作ったクリームソース(勿論プロトタイプ)である。なるほど、これを塗るためのパンが必要だったので、直前に電話してきたというわけだ。以前俺もなれ鮨のクリームソースでパスタを作ってみた事があった。これはどちらかというとクリームソースというよりディップという方が近い質感だが、流石泉屋さん、伝統に寄りかかる事を潔しとしないアグレッシブな仕事である。いい(飯)を少なめに使い、代わりにサワークリームなどで酸味を加えて食べやすくしているが、個人的にはもっとなれの酸味を全面に出して味を作ってしまってもいいように思った。これはそこにいた皆も思ったようだが、いかんせん皆食に対しては百戦錬磨。普通の食べやすさの感覚とずれている可能性があるw。その辺のバランスは、パスタ等で普通に食べられているクリームソースの隠し味としてなのか、あくまで鮎のなれ鮨クリームソースなのかで違ってくるだろう。いずれにしても、泉屋さんならではの野心作になりそうである。
ちなみに写真の右下は、これまた泉屋さんが持ち込んだwウォッシュチーズの最高峰"Epoisses AOC"。しかもわざわざ自宅で一ヶ月熟成させて持ってきたwため、トロトロである。本当に食に関してどん欲な人だ。
そうそう、最後に海音のパンであるが、今回の付け合わせにはバケットが欲しかったというのもあり、多少ミスマッチな感じがあったのだが、これ自体は、近所で買えるパンとしてはとても美味しいものだと思う。まぁそれでも『このチーズやなれ鮨ペーストに、うちのバケットを合わせたかったなぁ』との思いは消えなかったが。
つーか、店なのに、勝手にこんだけのもの持ち込んで勝手に食ってていいのだろうかw。でも店の方々や隣の客まで『美味しいね』と言って喜んでいたので多分問題ないのだろう。このユルさに対して、出てくる料理が信じがたいレベルのコース....このギャップは東京ではありえないね。
出てきた全ての料理を何度も頭の中で反芻しながら(BGMは当然サライ)最後に頂いた、〆のラーメン。これでもかと鴨の旨味の詰まったスープと麺、ただそれだけ。見た目はこれ以上無いくらい質素だが、これ以上贅沢なラーメンは他では滅多にお目にかかれない。いつまでもすすっていたい衝動にかられたのは、これ自体が美味いというだけでなく、この夢のような晩餐がもうすぐ終わってしまうという事実を、この時点でまだ受け止め切れてなかったからだと思われる。
以上がこの日の晩餐の全てである。誰が岐阜県のとある地味な路地裏で、このようなめくるめく食の祭典が行われている事を想像出来ようか。世の中には自分の想像力だけではとても補いきれない現実が沢山ある。書を捨てて街に出る事がいかに大事な事か、液晶越しにではなく、実際に人と面と向かって情報交換する事がどれだけ重要なのか、この、事実という名のファンタジーは教えてくれる。
今これを読んでる人と同様に、俺にとっても、この夢のような晩餐は既にファンタジーである。何故なら、今直ぐ食いたいと思って新幹線に乗って岐阜まで行っても、そこにあるのは普通に美味しいただの中華料理屋だから。だから、一見このレポートは誰にとってもメリットの無いものに思える。それどころかむしろ、書いてる俺は歯痒さに叫びたくなるほどだw。ただ、『世の中にはこんな場所が存在する』という事をどうしても言いたくて書いた。これで岐阜県という場所の奥深さというか、単なる観光目的では表にでない、食に対するどん欲さとレベルの高さが伝われば幸いである。
さあ、明日はとうとう養老の最終兵器wに突入だ。これも今日に負けない驚きと感動を与えてくれるだろう。