'06 九州グルメツアー1日目〜『博多の食と唐津城』
なんでこんな強行軍な旅をしようと思ったのか。まぁ、元を正せば福岡県出身の友人武藤君に出会った時点まで遡るのだが、この旅の話には蛇足過ぎるので割愛する。とにかく、その武藤君をはじめ九州出身の愛すべきステキ野郎(淑女)どもに出会ってしまったがために、この企画は生まれ、そして現実のものとなった。
今年4月の天気もそう良く無いある日、ある男がウチにパスタを食いに来た。稚加栄の明太子という『わかってらっしゃる』手みやげを片手に現れたその男は、俺のパスタに痛く感動し、『俺の地元、久留米の愛すべき仲間達にもこのパスタを食わせてやりてぇ』と思った。まぁ思うだけなら誰でも出来る。今も密かにpasta-manのパスタが食いてえなぁとぼんやり思う輩は少しはいるだろう。勿論そう思う奴には俺も無条件で食わせたいと強く思っている。でも、どちらかが強烈にソレを思わないと、俺の『食わせたい』という思いと誰かの『食いたい』という思いは邂逅しない。意外と高く、ゆる〜く見えない壁が両者の間にはあるのだ。
それを超えるには、少し厚かましいくらいの過剰な情熱がどちらかに必要だ。それは金では買えない。たまたま往復の航空券が道に落ちてたって、何の目的もモチベーションも持たずに俺は動かないし、いくらパスタが食いたくても、(知り合いとはいえ)大の大人を呼んで作らせてその前後の面倒を見てetc...などと煩わしい事を考えたら『まぁその辺の店に食いに行けば良いや』となるのが普通だ。だがその男にはその情熱があった。なぜだか分からないけど、俺をわざわざ九州の久留米まで自費で足を運ばせ、パスタを作るために四方に動き回らせる力があったのだ。勿論その男の力だけではない。九州という土地が放つ(主に食い物方面での)強烈な魅力に俺が既に参っているという前提は勿論あるし、他に会いたい人だっている。それが俺のモチベーションとはいえる。だが、きっかけを与えてくれたのはまさしくその男の情熱に他ならない。その火が俺にも飛び火して、その男と、彼が愛する久留米の人間達に、(僭越ながら)パスタをどうしても食わせたいと思わされてしまったのだから。
これから始まる食い倒れ道中記は、その男が居なくては書かれなかったものである。
●因幡うどん@博多デイトス店
2年ぶりに九州に降り立ち、博多の駅に着いたのが朝の8時過ぎ。家は朝の4時半に出た。考えうる最早の到着時間だ。これから始まる怒濤の食い倒れツアーの口開けに、最初に俺の胃に収まったのは博多うどん。博多デイトス内にある因幡うどんの支店で食った丸天うどんだ。
博多うどんに腰が無いという人間は、そもそも『腰』というものをどこか勘違いしていると思われる。ここ数年で東京でも讃岐うどんのおかげでうどんのなんたるかを知る人間は多くなったが、それがうどんの全てではない。稲庭、水沢、加須、五島、伊勢など、日本には色々なうどんがあり、味も食感も千差万別で、それぞれが独自の魅力を持ってる。讃岐うどんブーム以降うどん好きになった人間に居がちな、固い=腰があると思っているような浅いエセうどん通もいるが、そういう奴には博多うどんはもしかしたらどうしようもないうどんに映るだろう。
そういう人間に、俺が今回初めて本場の博多うどんを食って理解した、至極当たり前の事を伝えたい。博多うどんのあの柔らかさは、別に伸びちゃってるのではく、『そうしたいからそう作ってる』のだ。この後餃子を食って分かったのだが、博多人は、それらに優しくふんわりとした食感を求めていて、そこにに美味さを感じているのが、その二つから良くわかった。それは餃子やうどんを、食事でもおやつでもない、その中間くらいの位置づけとしているというのもその理由の一つだと思われる。とにかく、あの麺の柔らかさは、あえてそうしているのだ。その証拠に、熱い出汁の中で時間が経ってもそれ以上ぐずぐずに崩れる事が無い。加水率をあげて、捏ねや寝かせの行程を短くしてグルテンの形成を押さえているのだろう。あごの効いた絶妙の味加減の出汁とともに、優しくスッと胃に入ってくる独特の食後感は、博多うどんの持つオリジナルな魅力だ。この旅の記念すべき最初の食事を終えて、そこらへんの感覚を理解出来た時、福岡の食についてディープにハマって行ける片道チケットをようやく手に入れる事が出来たような気分になった。
●唐津城
腹を満たしたあとは、電車にのって一路佐賀県は唐津に。ここには翌日もう一度訪れる事になるのだが、今日の目的は(数少ないw)観光。ず〜っと前から行って見たかった唐津城に訪れる事だ。
博多から唐津へ向かう筑肥線は、写真の通りの絶景が延々と続く実に楽しい路線だ。乗ってるだけでいい気分になれる。九州新幹線つばめ(白い方)は、確かに早く静かで便利だが、殆どがトンネルの中で大して面白く無い。やはり旅はこういう電車で行くのが好きだ。
唐津の駅からタクシーで5分程行くと、唐津城を含む舞鶴公園がある。天守(模擬だけど)に登る前に既に目の前にこんな景色が広がる。他の城を見に行ってもこんなリゾートな気分にはなれない。それだけでこの城が持つ無二の魅力が理解出来ようもの。
海岸側から便利な移動エレベーターに乗って天守のある本丸に登ってみる。模擬天守とはいえ天守閣があるとやはり気分が上がる。これが、国指定特別名勝の虹の松原を臨む美しい海岸の淵にそびえ立っている。こんな城はなかなかお目にかかれない。朝4時半出発故の眠さも、蒸し暑さも忘れて童心にかえる。
天守閣の上からはこんな景色が拝める。写真で伝わるかわからんが、息をのむ美しさである。今年行った犬山城も素晴らしかったが、犬山の哀愁に対してこちらは陽の魅力溢れる、国宝に勝るとも劣らない立派な名城であった。
佐賀県には初めて訪れたのだが、これまでは正直行きたい県ランキングでは下位に入ってしまうであろう場所であった。だが、近くに呼子もあるし、この城も虹の松原もある。やはり俺の持論、『何も無い県などない』を、翌日行く事になる呼子とともに十分以上に証明する事となった。
●新三浦@天神店
唐津を後にし、再び博多に戻ってとりあえず宿にチェックイン。ロビーでは今回のツアーの火付け役たるあの男が愛妻を伴って待っていた。今日は明日のパスタ会への英気を養うため、博多グルメ案内をしてくれる予定なのだ。彼の運転でまず訪れたのは、水炊きの老舗、新三浦。残念ながら先の大地震で本店が壊滅状態&営業休止中ということで、天神の支店へ行く事に。如何せんビル地下の支店のため、本店の写真で見られるような厳かな雰囲気はみじんも無いが、初めて本場で食べる水炊きとあって、気分もいやが上にも上がる。
まず突き出しで出てきた小鉢は、地鶏モモ肉をタタキにしてサラダ風に仕立てたもの。ポン酢でいただく。地鶏らしい歯ごたえが、この後出てくる鍋に沈んでいるであろう肉の質を物語り、期待もいや増す。
水炊きの前に、これも九州でしか味わえないからと頼んでくれたおきうと。関東人には全くもって馴染みの無い食い物であるが、ようは海藻を固めてところてんのようにして食うものである。食感は確かにところてんのようでいて、より歯ごたえがあり、仄かな甘味がある。印象に残るインパクトこそないが、噛む程に広がる海の香りが結構クセになる食い物で、あとで『ああ、あれ食いたいなぁ』と思いだす、サブリミナル効果を発揮する中毒性の高いものだ。
ところで調べによると、原料のエゴソウという海藻を使って冷やし固めた食い物は実は秋田にもあって、名前をズバリエゴという。果たして本当に同じ味なのか是非食い比べてみたいところ。
そしていよいよメインの鍋の登場。鶏のみで白濁したスープがいかにも濃厚そうな匂いを発している。『原材料:鶏、水、以上』みたいな、ここまで潔い食い物もそうは無いだろう。上の写真のスープの中に沈んでいる骨つきの肉塊を、下の写真のように小鉢に掬い上げてポン酢で頂く。具の鶏は想像以上に良く煮込まれていて、普通の鶏なら間違いなくダシガラになっているであろう状態なのだが、若干のパサつきはあるもののしっかり旨味を残していて、おまけに十分に油が落ちているので危険なほど食えてしまう。結局4人で8人前食った。これでも俺的には腹八分目といったところかw。ちなみに写真下のスープは、鍋のスープに少しの塩を加えただけのもの。飲むためのものだ。
鶏をある程度食ったら野菜を投入。ここで一枚岩のような旨味が重層化して味に広がりが生まれる。鶏そのものよりもむしろこのスープと、それを吸った野菜を食うためのものではなかろうかと思うほどこの野菜が美味い。
当然ご飯でしめる。これは雑炊ではなくソップ飯という食べ方で、鍋にご飯を投入して味を染み込ませたりはせず、器でスープをかけて頂く。濃厚なスープならではの食べ方である。名前は多分スープ飯がなまったんだろう(想像ですが)。
この新三浦はもう全国に名を知られる程の名店なので、当然東京にも支店があるが、『その土地の食べ物はなるべくその土地で』をモットーとする俺は、この地で食べる事に意味があったのだ。ここからやっと俺の水炊き道(みち)。が始まるw。
●餃子のテムジン大名店
その後腹ごなしに車を柳川まで飛ばして川下り&あわよくばうなぎの蒸篭蒸しとシャレ込もうと思っていたのだが、時間は既に夕方の4時近く。どう考えても時間的に不可能なので、デパートで明日のパスタ会の足りない食材を買い込み、サクッと餃子のテムジンへ。まぁおやつであるw。テムジンというと、チンギス・ハーンの幼名を思い出す人もいるだろうし、バーチャロン・シリーズを思い出す人もいるだろう(と、ヲタぶってみるが全く知らない)が、博多では餃子だ。
博多で餃子を食べるのはこれが初めてなので実際はどうなのか知りたいところだが、因幡うどんで感じた博多人の食の好みをここでも感じる事が出来た。皮は厚くなく、プルプルと舌に溶けるような食感。具の方も主張が少なく、口の中で両者がすぐ渾然一体となって優しくスッと胃に落ちて行く感覚が新鮮だ。これは水餃子も焼き餃子も同じ。因幡うどんの出汁と麺がすぐ溶け合ってスルスル入って行く感覚と共通の方向性を持っている。
これは決して麺や皮が弱いから具(や出汁)を楽しむものだという事ではなく、あくまで『そういう食感の皮(麺)』を楽しむためにそうなっていると思われ、やはりあくまで小麦粉の食感を楽しめるものになってるのだと感じる。そういうバランスで作られているのだから。因幡うどんでも言ったが、そういう感覚を理解した上で食べると、余計新鮮に楽しむ事が出来る。個人的には、具にも皮にももう少し主張があっても良いと思う(決して皮を厚くしたり固くしたしするのではなく)が、因幡うどんとセットで博多の食のある方向性を知るという意味でとても楽しめた。
間を置かず2食連食して、流石に俺でもすぐホルモン!とは行けないwので、近所の商店街や櫛田神社を散歩して腹ごなし。境内に飾られている大きな山車を眺めて、全日まで行われていた山笠の余韻を感じながら観光気分を楽しむ。祭りのあとというのはなんでこんなにしみじみといい雰囲気なのだろう。祭りに参加したわけでもないのに、神社や商店街の寂々とした空気に心も穏やかになる。グルメツアーにはうってつけのシチュエーションである。
●筑豊ホルモンりぼん
その後キャナルシティを冷やかしたりしてるうちに日もすっかり暮れて、いよいよディナーの時間。今日一番楽しみにしていた筑豊ホルモンりぼんだ。先日訪れた松見坂の丹虎でその片鱗を伺い知る事は出来たが、いよいよ本場の鉄板ホルモンを楽しめるとあっては、『九州上陸後既に3食食ってる』なんて事は一切忘れてwいやが上にもテンションMAX状態である。さ、こういうフォトジェニックな料理の店は能書きはほどほどにしてさっさと写真だな。
前菜代わりにまずはチャンジャをつまむ。チャンジャでその店のレベルが分かるなんて事は無いが、あれば何故か必ず頼む一品。まぁ単純にあの食感と辛さが好きなのだ。それにキムチと違って動物性タンパクだしw。
続いてレバ刺し。甘味が強くねっとり系の一品。その割に臭みも全くなく(このレベルの店なら当たり前か)、タレも甘味がレバーと調和しててかなり美味い。でもこれだけいいレバーならここまで薬味乗せる事も無いのになぁとは思うが。レバーが嫌いなどという輩はそもそも頼まないだろうしね。まぁ軽く祓えばいい事なので何も問題ないのだけど。
前半のハイライト、カクマク(ハラミ)ユッケ。牛の中でもハラミ(とその周辺の肉)。が最も好きと言っても過言ではない俺にとってはこれ以上のユッケはない。そして現に正肉には無いハラミ独特の濃厚さがたまらん絶品メニューだ。まぁこれは写真でも伝わるよなぁ、その凄さが。これだけのためにまたここに来てもいい。
そしていよいよ念願のメインディッシュ、鉄板鍋(?)のホルモンだ。最近は福岡にならってこういう浅い鉄鍋で出す店が東京でも増えてきた(勿論福岡スタイリーを意識してのものだ)が、どうしても『だからなんでその鍋なのよ?』という必然性の薄い感じは否めなかった。が、先日の丹虎で『お?これは?』と思い、そして今日この日である。その俺の疑念というか違和感を、このメニューは全て払拭してくれた。
まずは甘めのタレで漬け込んだホルモン類を焼く(ここで鍋のような深さだとやりにくい)。写真の上に鎮座するハラミとサガリ見事なサシっぷりを見れば、どれほどの質の肉が乗っているかは容易に想像出来よう。これを軽く火が通るくらいまで焼いたら上に大量の野菜を乗せる。どれくらいかというと、
二郎のトリプル以上? w、肉が完全に覆い隠れるどころか、底辺と高さがイコールになるほどのピラミッド状に盛る。このピラミッド状がミソだろう。こうすることで鉄板から発せられた熱が野菜ピラミッドの中を巡回し、肉も野菜も綺麗に蒸らされ、自ずと出る水分が鍋の水分となる。これも鉄板形状ならではのやり方で実に合理的。
野菜も肉も火が通り、両者が渾然一体となれば出来上がり。余計な水分の入ってない旨味の詰まった汁に浸して野菜とともに食す....ヤヴァイ....こぉれおいしい(薬丸@はなまる)。単に焼き物として食うホルモンなら東京にもこのレベルの店は(数は少ないが)ある。でもこの食べ方は絶対に博多、というかりぼんで食うべき。というより、この食べ方をするためだけにでもりぼんへ行くべき。もう色んなところで肉を喰らい、ある意味焼肉/モツ焼き擦れしてしまった俺の味覚が、まだこれだけ新鮮な歓喜に震える余地があったのかということに驚きと感動を覚えた。
あまりの美味さにもう一度カマゲンしたあと、締めのおじやを作ってもらう。これがまた絶品以外の何ものでもない。ここでもこの浅い鉄板でつくるおじやならではの香ばしい匂いが作るそばから漂ってきて、この日これまで食ってきたものなど全く胃に入っていないかのごとく食欲が沸き上がる。どうしたもんかなぁ、俺の腹。
完成&感動。ご飯そのものが美味しい上に、鍋でなく鉄板で作られたことによる特有の香ばしさとタレの甘さが何とも言えないハーモニー。上に振られた韓国海苔がまたいいアクセントになってる。丹虎もそうだったが、肉が好きなものはまたご飯も好きだと言う事を分かってるゆえ、ご飯にもこだわっているのだろう。肉を美味く食わせたいがためには、肉以外の部分へ抜かり無くこだわる。こういうのもまた、店主(話してはいないが)の肉への偏愛ぶりの一端だと言えるだろう。店内は全てがロックだが、それを支えているのは偏愛だ。食材への偏愛、それを美味く食わせる事へのこだわり。やはり博多にもこういう店があったか。おかげで今の俺にとって、博多という町はモツ鍋でも水炊きでもラーメンでもなく、鉄板鍋ホルモンの町になってしまった。このたった一つの店のお陰で。
店を出て、世話になりっぱなしのあの男(いいかげん名前出せよw)にホテルまで送ってもらってもまだ余韻が覚めやらず、この後屋台のラーメンを食いにいく(まだ食うんか...)つもりだったのだが、やめた。勿論この日の密度ゆえの疲れも、寄る年波を考慮してというのもあったが、一番の理由は『りぼん体験』の余韻を消したく無かったのだ。こんなにいい形で初日が締めくくれるとは、想像以上であった。
さて、翌日は朝5時半にはホテルを出て呼子だ。そして午後にはパスタ会が控えている。前半のクライマックスだ。きっと明日も、いや明後日もその次も今日のような極上の締めくくりが出来るだろう。何せここは九州なのだから。
Comments
おお、待ってました。ツアーレポート。
ここまで書いて頂けると俺も負けれません。パスタマンをうならせるラインアップで九州中の旨い物をチェックします。
いままでとは違うアプローチで旨い物を全力で探します!!覚悟(笑)!!
Commenter: けい | 2006年07月23日 14:17